ヤンチェンはどこに

20代前半くらいの若い女性の先生もやってきたので、おもわず持ってきたヤンチェンの写真を取り出して見せました。
「この子を知ってますか」と尋ねると「知っています。」と答えました。
「この子に会いたいのですが」と言うと「ここにはもういない」と言われました。
おもいもよらず返ってきた言葉に、一瞬頭が空っぽになり、返す言葉も見つかりません。 体の力が抜け放心状態になってしまいました。
「ここにはもういない」その言葉が胸につきささりました。
大変なおもいをしてここまで来たのにいったい私はなんだったんだろうと。
シムラーで引き返すべきだったのでしょうか。
いろんな思いが頭を駆け巡りました。
そんなはずはありません 。
もしかしたら、「この先生の勘違いかもしれない。」「いや、そうであって欲しい。」と判断した私はとにかく校長先生の帰りを待つことにしました
それから30分ほどして校長先生は、戻って来ました。
名前をツェーリング・プンツォックさんと言い、背が高く眼鏡をしておりその奥からは、おだやかでやさしそうな眼が覗いていました。
突然の来客にビックリした様子もなかったので、きっと日本の助安さんのほうから連絡がはいっていたのだろうと思いました。
簡単にご挨拶と自己紹介をした後、ヤンチェンのことを聞いて見ました。
「ヤンチェンはここにいますか」
「ヤンチェンは2年前からポアンタ・サヒブにはおりません。」
「それでは今、どこの学校にいるのですか。」
「ここでの課程を終えた後、シムラーの学校へ移りました。今は何処にいるかはっきりとはわかりません。」と校長先生は言われました。
がっかりしました。本当にがっかりしました 。
シムラーへ戻ったら、何か手がかりをつかめるかも知れないと思ってもみましたが、
もうあの道のりを引き返す気力は残っていませんでした。
そのうえ日本からずっと一緒に旅して来た、おみやげのダンボール箱がとても重荷に感じられました。
ポアンタ・サヒブは、とても寒いところだと聞いており、マフラーや、ジャケット、ズボン、帽子、文房具などのおみやげを日本から用意して持ってきていたのでした。
そんな私の様子を察したのでしょうか、校長先生が一冊の本をもってきてくれました。
それはエイト社から出版されている「ダライ・ラマの子どもたち」という本でした。
この本のP64に載っている左から3番めの女の子がヤンチェンだと、お知えてくれました。
とっても美しい少女がそこに写っていました。
この本は、私も持っているが始めて手にした時、どこかにヤンチェンが写ってはいないかと目をこらしてみたものでした。
校長先生の暖かい心ざしが伝わり私の心にもう一度暖かさが取り戻してくるのを感じていました。

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