島地黙雷 航西日策


五月二十七日 烈風あり。緯十七度七十分、経六十四度五十分、航二百四十九里、孟買へ四百五十六里。

二十八日 濠々曇蒸、夕方より雷声甚し。夜十二時頃より雷電霹靂、暴雨あり、天墨の如し。航して進む能はず、終に窓を閉ぢ炭を消す。風雷黒雨の問時々汽笛を発して衝舟の害を避く。緯十八度二十分、経六十九度十三分、航二百五十里、孟買へ二百零七里。

二十九日 木曜朝十時孟買へ着く。新聞紙来る。仏議論あり、チェール氏辞職、マクマホン代る、陸軍卿も辞職せしとぞ。法府死せし由、今朝の電信あり。脚舟も亦大にして蒸気なり。初めポストを上げ、而して後客に及ぷ。ホテルに着く。
地図及び時服を買ひ、街上を散歩して日暮る。夜急雨あり、雷電甚し。
土人の賤者は裸体なり。祝は婦人の湯巻の如くして、端を後より取って前に挟む、獄図の鬼の禅の形なり。又越中製なる者あり。額に赤或は自・黄を以て画く、難色なるあり、単色なるあり。其の画いて胸腹に至るあり、竪に節を引くあり、格子の如くせるあり。其の服を着たるも上衣ありて下衣無し。
中人己上は洋服に似たる一種の製にして、股引は紅紫種々のを以てし、上着は筒初にて裾洋服よりも少し長し。皆白・黄の木綿の体裁、洋人の寝衣に似たり。冠は上下惣じては紅・白種々の単色なる木綿数丈を小帯の如く朶み、或は千鳥、或は蚫、大いさ笠の如くに出し立ちたるを冠る、此の製専ら回徒の冠なり。
又中高に斜めなる螺心の如く巻き立てたるあり、端に金モールの附きたるあり。其の中人己上には二種水枇のカハを挿し、平らめたるを冠るあり、此の人は必ず洋服に似たる服を為す。
土人の宅も中上己上は頗る美なり。貴族と称する者は別に椰林中の勝景の地に官花を植ゑ、築造室具皆欧風を学ぷ、美の尤も極まるあり。町も土人にして六七階なる家多し、併し其傍には小量有て欧洲の抑く一斑ならず。且市中は潔白なれども満街裸体に満行し、婦人は手足鼻耳等に管を為す。男子にて耳手足に管を為すあり。婦の服は上下別々なり。上に筒祐を着、下に湯巻を巻く。又上より大風呂敷体の物を巻く、只上下の別有て紛飾同じからず。又中己上の婦は金玉の飾ある冠を頂く、高さ二寸斗りなり。別に髪飾色々あり。

三十日 午前ワルケシワルに行く、此れ婆羅門徒の寺町なり。盛大なる水溜あり、其の四方は皆寺院なり。堂は必ずしも大ならず。
大抵石室にして、種々指傘の絞みたる如き尖塔を重々に囲み築く。上に竿上に板を上ぐ、宗患なり。塗炭・露形の外道多し。室内に小神殿あり、象神シヴ等の神あり。戸の前に必ず牛ありて奥に向ふ。種々の画有り。又戸は銀戸なるあり、銑戸なるあり。小堂は金銀を以て造る。裸体にして臥るあり、坐読するあり。満身白を抹するあり、慰むべし。(神々の図及びその解説等略す1縮老)
小塔無数、多くは八級なり。級々四方に小穴を彫る、夜皆灯を置く処。柱樹林を為し、ネブの如き葉の木、花紅丹色鮮かなり。他宗の人寺院に入るを許さず。大体室は平家と同じ。
夕方街上を遊覧す。土人の賤者は馬糞を焼きて薪に用ゆ。合してタドンの如くし、乾かして用ゆ。
家貴の室は皆美を極む。市中に六七階の多き、比力皆土人の商なり。人に検束無ければ猶裸の人室中に周旋す。兵隊、騎・歩の調練は皆土人なり。騎は赤服、歩は黒服なり。
楽室・遊園・涼台、吐水等、皆美なり。カテドラルは大にして其の側はパークなり。夜少しく雨あり。

三十一日 金をバンクより受く、三十封度。舟してヱレバンターに行く。舟行六里、カランテン島を過ぎ、〈舟中伝病の客を置く)順風に行き、逆風に帰る。初め着する、土人多人の肩に乗りて揚陸す。大石階、左右に大石欄あり。上ること数音階の山上にして大石堂あり、之をヱレパンターと云ふ。葡牙人大いに之を損ぜりと云ふ。千年頃の者とも云ひ、猶余程占き物とも云ふ。実は歴史なき故、時を正に知ること難し。
夜微雨あり、而して降らず。毎夜電光閃めく。

六月朔日 日曜 熱甚し、然れども少し風有り。終日読書。夕方クヰーン・ガルデンに至る、結構盛大にしてまだ全く成らず。四月中博覧会あり、今は休む。
ヱレパンターより大石像を持ち来るあり、□首四丈皆片砕となる。爾れども大図夫是を合せて粗形を為す、頗る大なる者なり。遊女客を招く、アルメニアン女・シリカシー女・土人の女等、数家之を公買す。
パルシーメソなる者は火教なり、黒の格、自の帽を冠す。小児・婦人杯は金玉の節ある小帽を冠れり、多くは富家なり。住居頗る美にして欧洲人の屋に同じ。家を彩画し、且戸口に三神、共の他諸神の画ある者は寺院なり。市中にも数多きなり。
婚礼を見ること二ヶ処。飴売喇叭を吹き、カンネ太鼓を打って拝観す。諸宗決して相婚せず、皆各類を以てす。印度人は三人迄を持つ。パルツース〈火教徒〉は一夫婦なり。彼の罪子の裸なる者は多くは小舟を家と
せる貧漁者なり。此の夕雨あり、頗る涼気を覚ゆ。夜浜港に散歩す。

二日 雨、後涼風爽然たり。朝バザールを見るに、肉店は皆ムートン〈羊)のみにして牛なし。宗則に従ふと見ゆ。小猿一室に群り、インコー鳥又同居す。遊観するに頗る広し。外に職を同うせる痩を列ぬ。写冥を買ふ、五十ルーピーなり。驚くべき者無数、僅に三五記憶に足る者を得るなり。時服を注文す。
午後より大雨、夜を徴す。涼甚し。夕方パークに至り、衣服湿然たり。

三日 火 終日梅雨の如し。書肆に至り、ヱレパンターの図面を買ふ。洗濯屋に金を払ふ、五ルーピー。

四日 雨、晴。発事、同十五分同府第二車駅を出づ。十一時五分前ダヂュルジュー、古城跡あり。砲楼の崩処々に散置す、頗る盛大の古を思ふに足る。十一時二十五分カリアンに着く。この前両山を左右に眺めて、古城の趣を見る。十二時五分マシンデに着く。左方の山上に岩々たる、高さ幾丈なるを知らず、盛大驚くべし。石塔の高き者存し、両岩中より懸けて数千丈、両竹の立てたる如きあり。是寺院の迹か、将城迹か知る可らず。
一時十分キュサラーに着く。此処にて車に火を点ず、隧道に入るを以てなり。二時二十分ヱギュテポーロに着。十五分休む、即ち昼食す。此の已前岩石の捏造幾十を過ぐ。漸く山頂に升る、此処は平行なり。”
三時三十分ナシック。此の前数山の頂平岩、皆台場の如し。古時何等の建築ありしや知る可らず。騒声雷電す。岩山連綿、而して出す。傍の山に男棍の大石尖立す、婦人話して子を祈ると云ふ。
五時モソマールに着、雨又降る。五時五十分モントカーロにて夕食す。チャンスゴーム七時二十分。日闇くして何事も分たず。夜電火瀕なり。

五日晴 カタラに朝飯、半時休む。是より前山野著原を過ぐ。天然の山水、椰樹の林列、広大の遊園を過ぐ夜は寝床をのべて棚にし、昼はすがり物となす。朝は車中水自在に出没して貌を洗ひ、二便も自在にせらる。七時着、七時半出事。入時十分バンケーユリに着く。八時五十分ガダラマルラーに着く。此辺の右手連山亘綿、左手は千里茫渺、時々放牛馬を見る。汽車は平面落□して下る、皆畠なり。
カレリー九時半なり。何れも車駅草花を植ゑ、涼気愛すべし。十時ナルシソポールに着く。此の前に高原中、村落に石像の大寺あり、現今奉ずる所の堂塔なり。白壁連綿たり。又石垣数十歩を回らす者あり、中に寺院らしきを見ず、土豪の屋ならん。此の辺の小堂は地蔵堂の如し、石造なり。惣じて此の辺渺茫たる千里の平面、凹凸なき曠野なり。
クリユクバール十時二十分、チンドアダーは十時五十分。十二時ジュベウホールにて昼飲す。此の地は都府なり。寺院並に富家の大家多し。此の辺農作を一鋤に著く。而して五或は三聯伍す、中鋤は此の如き者なり。
一時デーレーに着く。昼暑燃ゆるが如し。スホラーロードに一時半。スリーマナララードは二時なり。二時半キュテー、三時十分ジョコイ、ユンダルラーは三時半。
四時ミヤーレー、広原なり、処々に人家あるを見るのみ。方象の石址あり、昔時大物の遺物歟。今小寺院あり。ユカルラー四時半着、五時スチェアに着く。五時四十五分ヂョチワール、六時十分マヂュガーンに着く。日落ちて少しく涼を覚ゆ。山峡に入る、山少く地広し。惣じて境野の一凸凹なり、須臾にして又勝景となる、此より七駅を経てアルラハバードに着く。在十時。此の日寒温計首十六虔、極めて涼しき処も首九度なり、炎熱煩くが紺し。

六日 朝雨少し降る、去年十二月己釆初めて雨を見ると云ふ。ムンスーンの時に当れば此より涼気あるべしと云ふ。今日は香し、外は首九虔、内は九十九庶なり、尤も極めて涼しき処。
朝市中を俳見す。回教の大城中、回教寺院三寺並列す、石像なり。城門、其の他古跡依然たり。婆羅門の寺院と回教の寺院と処々散難す。
婦人の鼻転頗る大なるを指すあり。又一般に男女の帽小なる者あり、白にて、太いさ花碗程なり、尤も薄し。此は恐らくは回徒欺。彼の大山の王の如く並び立ちたるに比すれぼ余り反対なり。
佐河の上流を撲る、即ち夜前汽車にて渡る所。今日は馬車にて之に至るのみ。橋上を俳徊して感賞す。橋両層、上は汽事、下は人馬なり。軽河の上流なれども、頼る大河なり。
樹木葱欝、実に愛すべし。土人牛馬の糞を団して薪とす。女にして男服するあり。身を彫り額に画く、孟買と一なり。只ハルシースなく、又画かざる者多し。この地は回婆混淆なり。
風帳をして昼夜止みなく引かしめ、風を招く。
午後、アクバル帝の大城に至る。今英修理して堅き砲台とす。城門皆アラビア製なり。数量有りて、大砲教官門、弾薬山の如し。砲台上より見ればジュムナ河に臨んで建てたる者なり。阿育王の建つる所の石柱あり、上に卸子を造り、高さ四五丈なるべし。此の処の地下にプラマ寺あり、入口六十歩、奥の寺中上下周繞、皆石なり。中間円筒石にして、其の下をひき日の下皿の如くせり。是は彼の円筒の上より灌ぎし水此れに流れ出づるなり。寺中四方の石壁に小窓の如き壇を作る、種の偶像あり。或は下に無限の探さの室あるを見る。所々を巡観するに皆無限の広地、無双の景と云ふぺし。只暑きを苦しむ。

七日 土曜 暑さ尤も甚し。朝鳥獣園、及び所々巡覧。マイナート人の語を唱ふる鳥あり。又山鹿も居る。驚き怒るときは毛を竪立せしむ。尾に至っては尤も奇なり。頭は兎に似たり。
ブラマの寺に詣す。正面円筒石臼に牛。左右に小堂各四、各円筒の石牛あり。
夜十時半発車。炎熱悪し。

八日 日曜 パトナを経るに、大町の義、頗る大邑なり。恒河に沿ひて下る。此より前ヒタにて村流を渡る、古今未曾有の大輪なり。前見尤も大なり。舟の帆を懸く。
朝九蒔半モクカマルに朝飯す。此より二駅目を過ぎて分行村流あり。大橋頗る長し。数里の外に連山あり、山皆尋常。近づくに真の小丘なり。一岩山あり、小なり。水牛皆水に在り。綿花あり、囲あり、綜欄あり。ジャムイ十一時二十分、全く山峡に入る。而して其の間猶両山に遠くして、自ら広原をなせり。十二時五十二分シュモルター、此迄は前宿。山間を切り抜けたり。然し一処も燧道は無し。山の低き知るべし。間もなく曠原に出づ。又遥に山を見るに、奇境なるあり、凡様なるあり、後覆盆の如きあり。此の傍の小川を穿つや、台上を残して数万の塔形を為す。一小塔あり。 夜十時カルカッタに着く。河流数ロ、車駅より橋を架し難し。故らに駅に傍って船を縛る、大船なり。舟にて車券を取る。岸に登って江橋数架を渡り、運上処等あり。之より馬車にてホテルにつく。一飯、一浴以て臥す。昼夜不絶に夙帳をひく。価十アンナーと云ふ、余り易き物なり。

九日 月曜 ポルトガル人の所製歟、夕方事にて市頭を巡覧す。大台城に入る、造園共の他諸方を経過す。盛大驚くぺし。欧州と云へども此の如きの盛なる者少し。

十日 朝地図並に縮欝歟を買ひ、夕方遊園等に行く。園中ビルマの寺院を取り寄せたるを見る。七級にして中央に尖塔あり、木製雅致あり。下に大石にて左右に人面魚身の長大なる、之に次ぐに麟を以てして、又繰にスフィンクスの如き人面獣身の獅子の如きと相接したるを置く。(図を略す−縮老)
水を豚皮にて道路に打つ、巧拙あり。

十一日 夕、市中土人並に洋市を巡覧す。洋人の家等、尋常市街と同じからず。皆貴族、王公の第宇の如し。
由て此の地の街を御殿街と云ふ。大の水溜処々にあり。カテドラル、其他の大寺院及び古今洋人の大墓処、頼る美なり。又官第は政府は勿論、皆輪形の製にして、前門二、後門一、皆三ロを開き、中□を円筒にし、上に大獅子を置く。ポストは大寺院の如し。