真如親王高岳親王

 インド(天竺)へ渡ろうとして、最初に行動した日本人として記録にのこっているのは、いまから約1200年前の真如親王である。

 真如親王(しんにょしんのう)は799年平城天皇第3皇子として生まれた。俗名は高岳(たかおか)親王といい桓武天皇の孫にあたる。桓武天皇は坂上田村麻呂に蝦夷征伐(エミシからみれば侵略)を命じた天皇である。高岳親王は809年に叔父の嵯峨天皇(平城天皇の弟)に次期天皇候補として皇太子にたてられた。しかし翌年、平城天皇と嵯峨天皇の権力あらそいから藤原薬子(くすこ)の乱が起き、高岳親王はその巻き添えに 遭い十一才で皇太子を廃せられてしまう。
その後東大寺に入り、真如と法名をあたえられ皇族で最初に出家した親王となった。

 真如親王は空海に弟子入りして密教を学び、阿闍梨の位をうけ、弘法大使の十大弟子の一人として数えられた。高野山の親王院は如親王が開いた。855年に東大寺の大仏の頭が取れて落下したのでその修理の役職として東大寺大仏司検校に任じられている。大仏の頭が落下するということは、当時の人々にとっては大事件だった。

 苦行親王と呼ばれるほど求道心に燃えた真如親王は、60才の時に密教の奥義を究めようと入唐を朝廷に願いでる。しかしそのころ遺唐使船は23年前の第17次を最後にして、派遣されていなかった。そこで日本へ貿易のために来ていた唐の商人に頼んで便乗させてもらうことにした。

 真如親王の一行二十九人は861年奈良から九州にむかい、そこで一年間滞在した後の862年9月3日に太宰府を出発した、順風に乗り9月7日に揚子江の南200キロの寧波(にっぽう)の港に無事着いた。12月寧波を出て越州に向かった。そこに一年間滞在し、863年12月に越州を出発して、翌年の864(貞観 6年)5月21日に唐の都長安に到着した。

 唐の長安は人口が100万といわれ世界一の大都市である。長安には在留40年の留学僧円載(えんさい)がいて真如親王を西明寺にむかえた。あの空海も泊まった寺である。円載は「妻子を蓄えて業を修めず、みだりに国家の粮食をむさぼり」と険悪な仲だった円珍(えんちん)に侮辱された僧である。のちの877年帰国の途中、円載は難破して溺死している。円珍は858年に無事帰国して延暦寺第5代座主となり77歳で没した。

 当時の中国では武宗(840〜846)が熱心な道教の信者だった為に、仏教が徹底的に弾圧され4万4千600あまりの寺が領地ともに没収されてしまっていた。(会昌の廃仏)大部分の寺院は廃止になり、仏教が衰微してしまっていたのである。そのために真如親王は、師匠の空海のように中国で優れた師に会うことができなかった。とくに仏画や仏具を必要とする密教にとっては打撃があまりにも大きかったのだろう。

 ところで唐の時代では、643年に太宗皇帝がインドへ派遣した国使玄策が霊鷲山などの仏跡を巡礼して唐に帰り、2年後の645年には、18年間、天竺を旅をした玄奘三蔵がシルクロードを経て帰っている。二十六年後の671年には唐の義浄が広州から海路でインドに向かっている。道中追い剥ぎに身ぐるみをはがされたりなどの苦労をしながらも、ナーランダで仏教を学び25年後の695年に帰唐した。

 広州は現在の広東省で、唐の時代、ペルシャ、アラビアの商船が5月6月の西南の季節風に乗って広州の港にやってきて、10月11月に吹く逆の東北の季節風で中国の荷物を積みインド洋へ向かって帰ったという。そのため居留外国人の数は10万人を超え、広州は経済的にも大変賑わったという。求道の思い断ちがたい真如親王は海路でインドへ渡った義浄のように商船に乗るために、長安で天竺へ渡航する許可を得る。

 865年1月27日「身は長海の西浪に没すといえども、魂は定めて故郷の本朝に帰らん」と死を覚悟した決意の言葉を残して、いよいよ天竺を目指し広州から商船に乗り出発した。しかしその後、真如親王の消息は3人の従者とともに全くわからなくなってしまった。

 消息不明になってから16年後に唐の留学僧より朝廷に手紙が届いた。それによると「天竺に向かわれた真如親王は流砂に渡ろうとして、途中羅越(らえつ)国にて78歳で死去された。」という。羅越国はマレー半島の南端という説が有力で現在のシンガポール・ジョホール付近にあたる。
 その後、京の都で真如親王は虎の害にあわれたとの噂が広がった。(南方熊楠の十二支考にはその話が載っている)平安時代の歴史書『三代実録』では真如親王は羅越国という所で遷化されたが病いに倒れたのか虎に食われて命を落としたのか昔のことなので本当のところはよくわからないという。 
 
 現在マレーシアのジョホールバルにある日本人墓地には、最初にマレーシアを訪れた日本人として真如親王の供養塔が建立されている。

参考文献  「高丘親王入唐記」佐伯有清著 吉川弘文館
      「日本と中国の二千年」中村 新太郎著 東邦出版社
      「悲運の遣唐僧」  佐伯有清著  吉川弘文館

高丘親王入唐記

日本と中国の二千年

悲運の遣唐僧

高丘親王航海記

謎の皇太子をシンガポールに追え

  

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