ダライラマ法王のカーラチャクラ灌頂 5

 キー・ゴンパ

 チャンガの奥さんをアマラー(お母さん)と私たちは親しみをこめてそう呼ぶ。テントでそのアマラーが用意してくれたチベタンティーを飲む。チベット人はとにかく良くお茶を飲む。チベタンティーは鍋にお茶の固まりを削って入れて煮出し、それを塩とバターをドンモと呼ばれる木性の長い筒に入れて良くかき混ぜて作る、濃厚な味のする独特なお茶である。飲み干すとすぐに何回もお茶をつぎ足してくれるので「ラミー・トウチジェ」と言って断らないとすぐにお腹がお茶で一杯になる。

 カーラチャクラ勧請の行われる会場は数100メートルほど上ったキー・ゴンパにある。まだ頭がふらつくので無理は出来ない。そう考えている時にちょうどキーゴンパに向かうトラクターが目についた。モンク達が(チベット僧)が手まねで乗れ乗れと合図している。私たちは高山病の事もあって上り坂を歩くことにまだ自信がなかったので便乗させてもらう事にした。しかしこれでは降りて歩いたほうが、まだましと思えるくらい乗り心地が悪い。それでも歩いて具合を悪くするより増しなのでなんとか我慢してようやくキー・ゴンパの門の前に到着した。

 抜けるような青空に白い雲が浮かび眼下にはスピティー河が白く輝いている。目を見張るような雄大な風景である。
門のあたりでアマラー達が一休みしていた。近くの村人だろうか、みな素朴な雰囲気がただよう。ゴンパに向かう道にはさまざまな露天の店が軒を連ねている。カセットテープやポスター、ブロマイドを並べていたので覗いてみる。日本ではアイドル歌手だがここでは転生ラマや様々な仏が中心だ。最近亡命したカルマパの写真も並べてある。ダラムサラではチベット文部省のパサング女史に案内してもらいカルマパのブレッシングを受ける事が出来た。写真はなかなかの好青年に写っている。

 チベット人でも低地に長くいると高山病になるという。高山病対策にとにかく思いっきりゆっくりと歩くことにする。それにはウォーキング・メディテイションが一番、足の裏に気づきを持って、同時に呼吸にも意識を向けて呼吸を深くして歩く。お陰でこの旅の間、高山病で寝込むことはなかった。中には日本人で体調を崩してカーラチャクラ勧請を受けずにわずか一日の滞在で戻った人もいたという。

 取材許可証があれば、ある程度自由に動いて写真を撮ってもよいと聞いていたので、オフィスで許可証の手続きをする。キー・ゴンパのリンポチェの面接があるというのでスタッフの僧とともに会場へ向かった。面接の場所はカーラチャクラの砂マンダラを作成中のお堂だった。お堂(ツグラカン)はどうやら今回のカーラチャクラの勧請に合わせて建立されたらしく真新しかった。口にマスクをして先の細くなった筒で色とりどりの砂でマンダラを画いていく。ふとマンダラの儀式僧を見ると2年前にダラムサラのナムゲル寺(ダライラマ・テンプル)を案内してくれたお坊さんだった。当然のことだが今は近寄りがたい厳粛な雰囲気が漂っていて、とても声をかけられる状態ではなかった。

 面接を受けたリンポチェは日本にも来日したことがあり、とても気さくな方で一緒に記念撮影までしてくれた。書類にサインしてもらいようやく取材許可証がおりた。

 帰りは下りなので歩いて帰ることにした。足場が崩れやすいので注意しながら、慎重にゆっくりと歩を進める。驚いた事に若いチベット人は砂煙をあげてものすごい速度で駆け下りてゆく。姿が見る見るうちに米粒ほどの大きさになっていった。カーラチャクラにあわせて出来たであろう舗装道路は九十九折りで距離が遠いので歩く人は皆山道の最短距離を歩く。テント村は横に長いのであちらこちらに踏みしめた多くの道が自然に出来ている。そんな道といえないような道にもインド名物の乞食が物乞いをしている。どこから来たのだろうか?こんな辺境の地にまでやって来る商魂のたくましさに半ば関心する。慈悲と思いやりを持つことをダライラマ法王が講話で教え諭しているので乞食にとってもありがたい話である。みれば土埃にまみれて髪の毛も長いまつげも真っ白になって物乞いをしていた。

ドンモでチベタンティーをつくる
キー・ゴンパ門前
カーラチャクラにやって来たアマラー
キーゴンパ全景
キーゴンパと手前が会場の新しいツグラカン
ツグラカンの屋上でのキーゴンパのリンポチェ
テント村への帰り道

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