森の声


 古代の日本はかつて鬱蒼とした森林に覆われていた。日本だけでなく、ヨーロッパ、アメリカ大陸、中国どこも豊かな森林でおおわれていた。狩猟採集から農耕社会に移り変わり、樹木は切り倒され建築物が建てられた。森は焼かれ、農地に転用された。森林は姿を消し、そうして森で生きていた無数の生き物は死に絶えたのである。

 青銅器時代の4000年前ごろの中国の黄河流域の小高い丘には落葉広葉樹、針葉樹が茂りそこから流れ出す沢が無数の池や沼を作り出していた。当時の青銅器には今は絶滅したゾウやサイ、ウシ、クマ、トラ、シカなどが生き生きと描かれていた。当時の黄土高原のあたり一面は豊かな森林で覆われ、大型の哺乳類が徘徊していたのである。

 今から2500年前、殷の時代から青銅器をつくる為に森林が伐採されはじめた。殷を倒した周は遊牧民を追い出し、黄土高原を開墾して森林破壊を進めた。森林は姿を消し、沢や沼、池も姿を消し、草原も姿を消した。そして動物も消え去った。広大な黄土高原は乾燥化して、浸食され、崩れ落ちていった。元々は清く澄んでいた河は黄色く染まり、それ以来、黄河と呼ばれるようになった。黄河の黄色は森林破壊により大地が流した血の色なのだ。黄土は遠い日本まで、飛来して、毎年春先に、一瞬、私の町は黄土色に染まる。

 中国では古くから大地を流れる気を取り込む風水という方法を大切にして来た人々がいた。風水では龍脈を流れるツボに当たる地点に祖先の骨を埋葬すれば、その気を受け子孫は繁栄すると考えた。そこで気を調節する森林を植生して、風水を守る為に伐採を禁止した。中国国内を3本走る大きな龍脈はその尾根伝いに豊かな森林が形成され大切されてきた。

 中国では16世紀ごろから飢えた民の移動が多くなり、作物を育てる耕作地を求めた。そのため貨幣で土地の権利が売り渡されるようになった。神話の時代は先祖を敬う神聖な森は大切にされ保護されてきた。お金の時代になると樹木は神聖さを失い単なる商品価値におとしめられた。そうして風水を守る為に管理していた人々の間に金銭に眼がくらむ人が出始めた。森林は欲望の対象になり土地は売り渡された。尾根の森林は伐採され、山は崩壊していった。

 悪名高い文化大革命では全国の農民に簡易な溶鉱炉で製鉄を行わせ、鉄を溶かすために大量の木が伐採された。文化大革命で森林破壊は頂点に達した。そして森が姿を消すとともに月の輪グマや狼や虎も絶滅していったのだ。

 安田喜憲氏の花粉調査によると、ギリシャ文明と森の消滅はほぼ正比例しているという。 クレタ文明の神殿、宮殿の柱は木でできていた。クレタ文明は森が消滅して文明も滅んだ。ギリシャの神殿の石柱は木がなくなって石に代えられた。エンタシスのふくらみは木のふくらみを表現したのだといわれている。エンタシスは木の名残だったのだ。

 世界四大文明もまた木を切って森が消えたために文明が衰え、滅んで行ったのである。森が消え、砂漠になり、動物や植物、あらゆる命が姿を消し、その結果、残されたのは荒涼とした風景である。

 1997年中国大陸の長江で大洪水が起きた。未曾有の大洪水は2億2300万の人々の生活をも破壊したといわれる。長江の上流では85パーセント以上もの森林がすでに失われていたのである。1998年9月に中国共産党は森林伐採の全面禁止命令をだし、植林に力を入れはじめた。

 今から6年ほど前に中国の東北地方でささやかな植林を手伝った事があるが、今では広大な中国の国土に森林面積はたった8〜12パーセントくらいしかないと言われている。植林をしても地域の住民が理解していない所では羊の放牧により枯れてしまい根ずくのは3割程度という。中国では森林と呼べるような緑は今でも姿を消しつつある。

 中国のシンポジュウムでお会いした李遠国先生は道教の修行法の一つ雷法(雷から天の気を取り入れる。)によって、人の心が読めるようになったそうだ。人の心だけでなく大自然の波動の意味もわかるようになった。ある日、森の樹木達が泣いているを聞いてしまった。李遠国先生はその泣き声に深く心を打たれて中国国内で環境問題に取り組むようになった。

 地球温暖化が進んでいるのは誰もが知るところである。人体に細菌が入り込んだときに体に熱が発生する。熱が発生するのは細菌の働きを押さえ、リンパ球の働きを活発にして健康に保つ為の体の正常な働きである。薬で熱を下げてばかりいると逆に治癒力が低下して病気の時に治りにくくなるので注意が必要だ。

 食べたものが悪いと吐いたり、下痢をして排泄することは自然な働きだ。地球温暖化も体温を上げて、細菌やがん細胞の働きを抑え環境を守ろうとする自然な働きかもしれない。その場合の細菌やがん細胞は人間に相当する。

 環境破壊が叫ばれてから、随分と長い年月が立つ。しかしいくら「環境を大切にしよう」と言っても現状は益々悪化するばかりである。

 自分を抑えきれずに子どもを虐待する親は自分も又虐待されて育ったことが報告されている。頭では子どもを虐待してはいけないとわかっていても自分を抑えきれないのだ。

 これ以上食べると命が危険だと理解していてもつい食べてしまう人がいる。頭ではわかっているがみな衝動を抑えきれないのだ。

 もはや環境破壊は知的な理解だけでは食い止められない。私たちの意識の内側には荒涼とした風景が広がっている。それを外側の世界に投影して行動表現しているのだろう。

 環境危機を回避出来ないのはわたしたちの自己感覚が地球大にまでなっていないからだと思う。実際、現代人の身体感覚は鈍くなっている。自己感覚が環境と分離しているため世界で起きている事に現実感を感じなく人ごとなのだ。危機が観念的ではなく身体感覚の痛みとして自覚したときに地球規模の治癒が起きる可能性がある。

 地球の健康を取り戻すには龍脈上に樹を植えて、わたしたちと自然界の繋がりを取り戻していくしかない。失われた自然森を取り戻してその神聖さに触れる。そうして自分が個人の自我意識を超えた地球生命体の一員である事を思い出してゆくのである。

 李遠国先生のように私たちの耳にも森の声がとどくだろうか?


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