樹林気功


 
樹林気功という言葉を知ったのは自発動が問題になっていた鶴翔庄がちょうど流行っていた頃で津村さんが88年に発行した「樹林気功の手引き」という小冊子に目を通してからだ。その冊子には樹林気功には日没や日の出がよく、樹木の効能について血圧の高い人は柳がよいなど必要な情報がコンパクトに記されていた。周老師によると、樹木の気は噴水状になっているので、昼間は幹から離れる方が上から樹木の気が降りてくるそうだ。大木に寄りかかるのは地表にそって樹木が気を流す明け方と夕方が良いという。

「自然保護を唱えるには自然と一体になる能力の回復に裏付けられていなければならない。不自然になった自己の心身を、自ら治癒していく努力なしに病んだ森から援助してもらおうとするのは間違った態度である。」津村さんは「心の森を育てる。」を提唱して、気功は自然回復の具体的な方法とした。今から約20年前である。

 樹林気功を提唱したもう一人に今田さんがいる。今田さんは肺がんに成ったときに医者からあと3ヶ月の命と宣告された。八幡平の奥のブナの原生林に入り、どうせ死ぬんだからといって素っ裸になって気功をやったというのだ。ある日樹木に成りきって立っていると体中に「シャワーン」という感じがして痛みがスーッと消える体験をしたという。そのまま気功を続けて末期の肺癌が自然退縮したという。おそらく今田さんのシャワーンという音は森に感応して流れた命の音だと思う。長年悩んでいた症状が消えるとき患部で不思議な音を聞く人がいる。滞った気が通ると苦しんでいた症状は消えてしまう。内なる自然と外なる自然の共響。当然それは耳に聞こえる物理的な音ではない。心の耳に聞こえる音なのだ。

 気功という言葉は比較的新しく1957年に劉貴珍という人が使ったのが初めてだという。気功にはクマなど動物の動きを模倣したものもあり、その起源は数万年前のシャーマニズムまで遡るのではないかと思う。シャーマンは歌い踊り、呼吸法や身体技法などで病気を治療した。そしてそれまで吐納、導引、坐忘、心斎などと呼ばれていた方法を気功という言葉でまとめたのである。

 気功には動作をともなう動功と静止したまま動かずにする静功がある。静功には森の木になってしまおうという站庄功がある。立って木に化けて先祖帰りするわけだ。

 カール・セーガンは人間は樹木から生まれたといっている。人間のDNAがもっている情報を動かす酵素やタンパク質と同じ生命物質が樹木にもある。しかも樹木のほうが人間よりも誕生したのは遥かに古いのである。

 足を根のように地中深くおろして、地の気を吸い上げ天に返し、枝を張って天の気を吸い降ろして地に返していると、自分の体が透明になり森の一員になる瞬間がある。そこにあるのはお互いの命の流れが交わし合うエネルギーの交響があるだけだ。

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