序章     愛と無の祝祭



あなたは愛、あなた無の踊り手

全ての始まりの前、あなたは“純粋の意識”そのものとしてあった.
愛の中で完全に満ち足りた愛そのもの、
アウェアネスを伴った空間そのもの、
安らぎ以上の平和そのものであった。

空間というのが最初の思いつき、
 そして存狂・意識・至福という形をとった。
“世界”というのはあなたのマインドが生み出したもの、
全てはあなたのハートから、核心から、無から、起こつて来る。

あなたは空間、
決して移動進行することの無い空間。
内側の空間、外側の空間という区別は名前と形から生まれる。
名前と形というものが事の本質を隠してしまう.
これは正に教訓として学ぶべきだ。
名前と形に囚われた時、
あなたの本性である意識が
それに覆われて見ることができない。
馬の彫像といえば目は素材のグラナイトを見ることができない。
指輪を見なさい、それを作っている素材のゴールドは見ることはできない.
ゴールド無しに指輪が成り立たないように
人間の本性たる意識を放れてあなたは存在しない。

意識
感覚では捉えることができない.
頭では理解することができない。
あなたの内に“私自身”として漢き上がって来る
その実感が意識だ.
それは太腸の輝き、
それは空間と時間を超えたもの。
逆に時間と空間は意識から生まれて来るのだ。
あなたの本質は無活動。
太陽が無活動であるように本質は不動だ。
活動は思考の投影から起こるもの。
あなたのドラマ、あなたの世界。

真理は不動だ。行ったり来たりはない。
エゴの混乱、動揺が全宇宙の混乱を作り出す。
しかし、真理は不動だ.

このエゴがどこから、どのようにして生まれて来るのか注意深く見てごらん。
“私”というのは単なる親から社会からの条件付けの集まりだ。
習癖の集まりにすぎない。
個人というのは本当の私がエゴという着物を着ているようなものだ。
個人というエゴを捨てなさい。
エゴはそれが問題だという、
神はそれは問題ではないと言う。
全てが神の超能力に支配されているのだから
エゴの決定力は幻想にすぎない。
全能に直面しなさい。

降伏するとはあなたのエゴを、優越感を明け渡すことだ。
降伏するとはあなたの馬鹿さ加減、邪悪さを
存在の意志に明け渡すことだ。
それだけのことだ。
川が海に流れ込むように降伏しなければならない。
降伏とは“あなた”という川の分離感を
大海の中に流し込んで、川であるという限界を無くしてしまうことだ。
そして、起こることは起こるがままにすることだ。

あなたの本質は沈黙、静寂。
静寂は“獲得する”というものではない。
それはいつも“こご’にあるのだから。
静かに静かに内側に入ってゆきなさい。
頭の中のちょっとした考えでさえ大きな雑音となる。
静かにしていなさい。
この沈黙は話をする、しないとは全く関係が無い、
マインドの中に−つの思考も湧き上がらない状態を沈黙と言うのだ。
静かにしていなさい。
考えるのを止めなさい。
努力するのを止めなさい。
平和というのは思考と努力を超えたものだ。
あなたの思考作用と努力が真理への妨げになる。
それらを通しては決して真理を見つけ出すことができないからだ。
これが為に静かにしていることが愛と平和の扉を開く鍵になるのだ。
この静けさが、無思考が自由だ。

この何も無いこと、この静けさにあなた自身を一体化させなさい。
そこには“獲得’するものは何も無い。
源泉の本性は耕して栽培してその実を得るというものではない。
あなたは意識で農夫ではないからだ。
既にそのものなのだから
どうしてそのものになろうと努力する必要があるだろう。
社会から押しつけられた束縛から逃れようと努力することは、
押しつけられた自由を獲得するのと同じことだ。

マインドで自由を、真理を探そうと努力するなら
それは逃げてしまうだろう。
これらのマインドの試みが動きとなり、雲となり、それを隠してしまうからだ.
思考が止まった時に、それはそれ自身の姿を現す。
一瞬だけでよい。思考の動きを止めなさい。
一秒だけでよい、すべての欲望、全ての思考を止めなさい。
一瞬だけでよい、“私が’という考えを捨てなさい。
そうすればあなたは誕生と死という輪廻から永久に越えられる。
この輪廻がサムサーラ、あなた自身の想像のたまもの。
誕生も始まりも死も存在しない。
真の知識によってのみこの輪廻を止めることができる。
“私は−体誰なのか?”、
この自問自答がこの輪廻を止めることができる。
だから決心しなさい。
私は“今”、自分自身を見つけなければならないと。

 あなたはものや考えに気づいていることに気づいている“それ”だ。
 アウェアネスとは対象に気づいている自分に気づいていることだ。
 あなたは“それ”、静けさそのもの。

 単に“在る”ということはいつも輝いた存在だ。
 私自身。ピリオド。これが存在の光だ。
 このダイヤモンドの光は隠しおおせるものではない。
 マインドが存在しない時、
 あなたの顔は美と無垢で光り輝く。

 覚醒への近道はマインドの純潔さに頼っている。
 このShort−Cutはあなたの欲望を切るということだ。
 欲望の対象物が幸福をもたらすのではない。
 これは逆に束縛を与える。
 獲得したあとの無欲状態が幸福をもたらすのだ。
 無欲が幸福をもたらすのだ。
 欲望だけがあなたの平和と休息への道を妨げている。
 この欲望というのがマインドの病癖だ。
 欲望なしに生き、幸福でいなさい。

 全ての−時的な快楽に手を出さないことだ。
 あなたが執着した全てのもの、愛した全てのもの、
 知っている全てのものはいつか消え去ってしまう。
 この事実を知りなさい。
 この世界はあなたが造り出して、演じて、苦しんでいるだけなのだ。
 この事実を知ることが物事の本性を見分ける助けとなる。
 真実と偽物を見分けなさい。
 既知は偽物、それは来ては去っていく。
 だから未知のもの、決して変化することのない真実とだけ−緒にいなさい。
 現れては消え去る全てのものは実在しないのと同じだ。


ー時的なものから何の恩恵も得ることはない。
そんなものに決して執着しないことだ。
そして−度手放したら決して後を振り向かないことだ。
あなたの絶対的、全面的“自身”と一緒にいなさい。
永遠と一緒にいなさい。

あなたはすでに喜びの園にいるのだから、
幸せである為に誰も必要ない。
過去のことに思いめぐらすと悲しくなると言うのなら
この“今”に帰ってきなさい。
この喜びのこの瞬間が過去の記憶や苦しみを消し去ることができる。
なぜならこの−瞬こそが幸福そのものだ。
だから苦しむ為に過去の記憶に戻ると言うのはまさに馬鹿げている。
幸福はあなたの本質だからその為に何もする必要はない。
自分を知る、自分の本質を知るということが幸福をもたらす唯一の道だ。
“こご’、ここに美酒があるのに誰もしらない。

あなたは無、これが究極の実体だ。
無から無という槻念をとり除きなさい。
無だけを残しなさい、それ以外にはなにもないのだから。
全ては無から生まれ、無の中で踊り、無へと帰っていく。
大滝が波をおこして波の踊りを楽しむように
あなたはこの無から生まれた踊り手だ。
この無からはみ出るものは何もない。
それ故に無は完璧だ、完全に満ち足りている。
無は“存在”と、“無存在”の間に存在する。
自由である為には“私は基ばんである’’
“私は平安である’‥私はこの無である”と言う
確固とした信念をもつことが必要だ。

全ての世界の様相は本質的に無からなりたっている。
無の王座に座って王様の様に振る舞いなさい。
全てはあなたのものだから。

世界の出来事、自由、マインド、全ては存在しない。
これが究極の真理だ。
究極の真理は全て無であり、いつも無であったということだ。

ノーマインドとは外側の世界とは関係がない。
ノーマインドが無に行きつく唯−の道で、他に道はない。
本質が明らかになるのはあなたがノーマインドの時だ。
だから静かにして、何も考えないこと、努力をしないこと。
何も考えないでおこうと努力しないこと。

自分の本性を知るのに−秒間必要なだけだ。
この−秒間にマインドから全ての思考を取り去る為の非常な決意が要求される。
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この一秒間に全てを捨て去らねばならない。
この一秒間にあなたとだけいることを許しなさい。
この−秒間あなたは丹田に力をいれ、拳を握って、
私はこの一秒間に自由にならねばならないと宣言しなさい。
このような極端な自由に対する欲望を持つことはめずらしい。
このような極端な意志と力強さを持つと、
神でさえあなたの前に来て膝まづくだろう。
強靭な肉体とマインドと意志が必要だ。
全てが整った時、この−秒間で十分だ。
あなたはやり遂げねばならない。
単にメニューを読んでいるだけでは空腹を満たすことはできない。
食物を食べなさい。
愚かなマインドを制服しなさい。
理解するということではない、“在る
”いうことだ。
自由でありたいと決めるのはマインドではない。
なぜなら自由を達成した時、マインドは存在できなくなるのだから。
マインドをコントロールしなさい。必要な時は召使いのように使いなさい。
ここ、この瞬間に自由である為にはマインドは必要ない。

私が本当に教えたいことは、
教えることができないそのものについて教えたいのだ。
私の教えは教えることができないということだ。
全ての教えが湧きあがって来るその源泉、
その本質について私は教えることができない。
この本質というのは全てを超越しているので
教えるとか教えないとかの問題ではない。
その本質とは全ての言葉が生まれて来るその源泉のことだ。
バグワン(マハリシ)ならこう言うに違いない。
真理はここにある、あなたは一体何がほしいのか?
決断はあなたにかかっていると・・・。

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Ihatov Institute of Integral Body & Mind