少年時代


ラマナ・マハリシは1879年12月30日午前1時 南インドのティルチュリ(Tirupati)で生まれている。その日の午前1時はシヴァ神の聖なる祭りの日で路地を練り歩く花輪で飾られたシヴァ神の像が丁度寺院に戻ったときに誕生したといわれる。
父のスンダラム・アイヤールは翌年の1880年に弁護士を開業をして家は依頼人や訪問客で賑わったようだ。ラマナ・マハリシの幼名をヴェンタカラーマンといった。
12歳の時父が亡くなり、チェンナイ(マドラス)の町近くの叔父の所に引き取られた。ラマナ・マハリシは少年時代に異常なまで深い眠りに入る事があったという。

「少年たちは、私に恨みを抱いても私が目の覚めている時にはかかってくることはなかった。その代わり、眠っている間に私を連れだして、殴ったり、顔に墨を塗りまくったりしてから、私を戻した。翌日彼らがそのことを吹聴するまでまるっきり何も知らないでいた。」

またこんなことを寺院に行ったときに友達にいっている。
「神はすべてを平等に創造されたのだから、創造物の間に違いなど存在しない。神は一つである。神々の顔や形の違いは人間によって創作されたものだ。」

彼は子供の頃からアルナーチャラの名を聞くと不思議な興奮を感じたという。
そして1896年の7月の中句 17歳の時に突然死の恐怖を感じる。この人生を変えてしまう死の体験が彼を生涯に渡って住む事になる「聖なる丘 アルナーチャラ」に導く事になる。


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