アティーシャ Atisha

1.チベット仏教の中興の祖
2.アティーシャの生涯
3.チベットへ
4.大乗仏教の修行
5.アティーシャのハート瞑想
6.金剛乗・タントラ・ヴァジュラヤーナ


1.チベット仏教の中興の祖

 チベット仏教では修行を三つの段階に分ける。ヒーナヤーナ、マハーヤーナ、ヴァジュラヤーナでそれぞれ小乗、大乗、金剛乗と訳される。小乗,大乗,金剛乗の三乗がチベットで統合されたのはアティーシャ(別名ディーパンカラ・シュリージュニャーナ)の業績によるところが大きい。後にゲルク派の開祖ツォンカパはアティーシャの「菩提道灯論」を土台にラムリム(覚りに至るまでの修行の段階)として仏教の統合に導いた。

2.アティーシャの生涯

アティーシャ

伝記によると982にアティーシャは東ベンガルの国次男として誕生した。今のバングラデッシュである。現代のバングラデッシュはでは住人の大半がイスラム教徒だが、アティーシャの時代は8世紀の中頃に興ったパーラ朝によって12世紀まで仏教が栄えていたのである。世界遺産となったパハールプールからはインドのナーランダー寺院とならぶ南アジア最大の仏教遺跡が発掘されている。

 アティーシャは少年時代から探求の道に入り、仏教の中心地であるマガダ国に行き,在家密教行者のもとで無上瑜伽タントラの修行を積み悉地(しつじ))に達したといわれている。悉地はサンスクリット語でシッディ(siddhi)といい。ヨーガでは修行が完成して、霊的な能力を得られることをいう。あるとき仏陀がアティーシャの夢の中に現れ「いかなる執着があって出家しないのか」と諭された。それで29才の時ブッダガヤで出家したとされる。出家後は小乗の仏典や論書、アビダルマを学び三蔵法師となった。

 仏教にもっとも必要なのは菩提心であると教えられたアティーシャはインドでは遠い外国にあたるスヴァルナ・ドヴィーパ(今のスマトラかビルマの南部)まではるばる旅をしてダルマキルティー(又はダルマパーラ)に会い、1012年から10年間教えを受けた。このダルマキルティーこそ仏教論理学のダルマキルティーと同名なのでチベット人にセルリンパと呼ばれたその人である。セルリンパは唯識のアサンガの法灯から数えて11祖にあたる。

 大乗仏教では自分一人が輪廻の苦しみから離脱するために悟りを目指す」のではなく、「苦しんでいる多くの衆生を救うために、できるだけ多くの衆生を救うことの可能な仏陀の心と体を手にいれよう」と、願うことからはじまる。こうしてアティーシャは大乗、小乗、顕密あらゆる仏教を学んだのである。特にセルリンパへの敬慕は熱く、後年までセルリンパとの出会いを語るとアティーシャは涙を浮かべたという。

 「自分と他人をすみやかに救おうと願う者は自他の置換という最高の秘密を行なうべきである。」セルリンパ「入菩提行論要義」

 「はじめに自他の平等性を努めて訓練すべきである。すべての人の安楽と苦悩は等しいのであるから自分のように護られねばならない。」セルリンパ「入菩提行論要義」

3.チベットへ

 アティーシャがチベットに入るきっかけになったのは、古代チベット吐蕃王朝の末裔が西チベットに築いたグゲ王国で仏教復興の動きが盛んになったからである。


ゲゲ王国遺跡

 エピソードによると1024年ころグゲ国王イーシェ・ウーがイスラムとの戦争中に捕虜になり、王の身長ほどの莫大な身代金を要求された。甥のチャンチャヴ・ウーは国中から砂金を集めたが頭の重さの量ほど足りなかった。しかし国王は「自分は老いて、この先長くは生きられないので、自分の命はいらないからこの身代金でインドから高僧を招くように」と伝えて亡くなる。

 再三の招きにも関わらずアティーシャのチベット入りはヴィクラマシラ寺院の信徒が強固に反対していた。そこで新しくグゲ国王となった甥のチャンチャヴ・ウーは、前王の遺言通りヴィクラマシラ寺院に莫大な黄金を送った。板挟みになったアティーシャは自分の守護尊のターラ菩薩に祈った所、「チベットへ行けば命は短くなるがインドに留まるよりも、多くの人を幸せにする事が出来る。」と告げられチベット行きを決心する。


スワヤンブナート 仏陀の眼

 1040年、61歳になったアティーシャは、チベットに向かうと反対されるのでカトマンズのスワヤンブナートを参拝するという名目でインドからネパールへ向かった。ネパールで1年余を過ごしたのち、1042年、いよいよヒマラヤ山脈を越えて西チベットのトリン寺に到着した。


トリン寺仏塔

 トリン寺の滞在中、全仏教の教えを3枚の紙に要約したといわれる「菩提道灯論」を著した。その後のチベット仏教に大きな影響を与えた重要な論文である。アティーシャはインドに帰国するつもりだったが紛争で道が閉ざされていたので後のカダム派の開祖ドムトゥンの案内で中央チベットに行き、サムイェ寺に滞在した。その後、インドに帰ることなく1054年73歳でラサの東方ニェタン(ネタン)で入滅した。


カダム派の開祖ドムトゥン

 ラサからヤルツァンポ河沿いの道をシガツェに向かって走るとドルマ・ラカンがある。ニェタンのドルマ・ラカンはアティーシャが晩年過ごした重要な聖地となっている。アティーシャはバングラデシュを代表する歴史上の人物なので、バングラデシュ政府の要請を受けた周恩来の命により、ドルマ・ラカンはかろうじて文革からの破壊をまぬがれている。最近この近くに大規模な刑務所が新設され 平和的抗議活動を行った罪で服役中の僧侶や尼僧が多数服役している。過酷な環境なので一刻も早い釈放が望まれる。距離が近い為に住民からドルマ・ラカン刑務所とよばれている。


西チベットの風景

4.大乗仏教の修行

 ヒーナヤーナ(小乗)の土台となる修行法は観の瞑想で別名ヴィパサナと呼ばれる。修行者は静かな場所に座り、自分の心に現れる思考、記憶、感情等がそのまま自然に起こるにまかせ、入れ替わり立ち代わり、浮かんでは消えて行くのを考えで追わず、受け身で静かに観照させる。ヴィパサナの目的は「空性」つまり、これら分離した自我がすべて実体のないものであることを理解する事にある。

世界のすべてはうつろい、変化してゆく(諸行無常)、
あらゆる存在には実体がなく(空性)、
関係によって支えられている。(縁起)、
永遠不滅の実体は存在しない(諸法無我)

 純粋な気づきである観照意識が開花すれば行為、感情、思考、身体感覚との同一化をやめ心は日常のリアリティに惑わされなくなる。

 しかし大乗仏教ではその観照意識にも微妙な二元性が含まれるていると教える。つまりヒーナヤーナ(小乗)では「自己の救いが目的で他者の救済はなおざりにされている。」というものだ。それゆえに大乗仏教ではヒーナヤーナ(小乗)の目指している阿羅漢を自己の救いだけ求める声聞・縁覚としてレベルの落ちるものとする。大乗の自利と利他を実現する菩薩を上とする論理を展開するのである。空海も十住心論で真言密教が最高の境地であると述べているが、このような大乗仏教のロジックは他店との差別を明確にして地域一番店を目指す営業戦略のように思える。下位のレヴェルとされた小乗仏教にとってはたまったものではない。

 実際にはヒーナヤーナ(小乗)であるテーラワーダ(上座部)仏教 にも大乗仏教と同じように多くの人を救おうとする考えはある。それにはまずヴィパサナを修行して「サンカーラ・ウペッカー・ニャーナ」すべての現象をとらわれない平静な心で見る智慧(行捨智)を得なくてはいけない。それから多くの人を救えるブッダになるために、自他のための修行を続けようと誓願をするのである。これは大乗仏教の菩薩と同じ考えである。ただしヒーナヤーナ(小乗)では阿羅漢になってしまうともう輪廻しないと解釈する。その辺りが、他人を救うために生まれ変わってこれないと考える大乗仏教に狭い考えだと批判されたのである。逆にテーラワーダ(上座部)仏教からは大乗仏教の教典は真の仏陀の教えではなく文学作品であり捏造であると批判されている。

 大乗仏教では、「他のものの幸せのために仏陀の境地を目指す心」を、菩提心(bodhicitta )と呼んで、最も重要だとする。チベット仏教には菩提心を育てる大乗の修行法が二つある。ひとつはナーガルージュナからシャーンティディーバに伝わった自他を平等にみなす修行法とアサンガからセルリンパ、アティーシャと伝わったトンレンと呼ばれる「与えることと受け取ること」という意味の修行法である。トンレンは別名アティーシャのハート瞑想として知られている。

アティーシャが滞在したトリン寺

5.アティーシャのハート瞑想

 アティーシャのハート瞑想は次のように行なう。目を閉じて呼吸に意識を向ける。 家族や友人、知人など自分が良く知っている人の中で病気や不幸、絶望や苦痛、不安や恐れ、といった惨めさや苦しみを体験している知人を瞑想中に思い浮かべる。息を吸う時、彼らの苦しみのすべてを、どんよりとした真っ黒な煙やタールのようにイメージして、それが鼻を通って自分のハートの奥まで入っていくのを観想する。その苦しみを自分のハートに取り入れるのである。次に息を吐き出す時には、自分のやすらぎ、自由、健康、喜び、至福をといったものすべてを光というイメージに変容させる。癒しと解放の光をハートから太陽光線のように輝いて知人に届くように観想する。この呼吸を繰り返す。

 それから知人が住んでいる街をイメージする。息を吸いながら、その街に存在するあらゆる苦しみを自分の中に取り込み、自分の幸福や健康を街に住むあらゆる人に送り返す。次にその地域全体に拡げ、さらに国、惑星、全宇宙へと広げていく。

 一般には「鬼は外、福は内」というのが普通だがこの瞑想は全く逆である。人の苦しみや邪気を吸ったら自分が病気や不幸になるのではないかと我々、凡夫は恐れるが、アティーシャのハート瞑想は自己と他者を入れ替えることによって自己執着に気づかせて、自我の壁を打ち壊してしまおうというのである。自己と他者というニ元性の垣根を取り払ってしまうのだ。幸せも苦しみも等しく非二元性の意識では存在しない。もし他者と自己を入れ替える事が出なければ自己は一なる全体から分離してしまうだろう。他人の苦しみを受け入れることができなければ、その人は分離した自己の中で苦しみ続けるだろう。

「この世のあらゆる苦しみは私たちが自己中心的で自分の幸福ばかリを望むせいで生じ、この世のあらゆる幸福は、他人を思いやることで生じる。」シャーンティディーバ

「自分を傷つけようとする人の幸せさえも願うことができたら、それこそが至福の境地の原泉だ。」アティーシャ

ウィスコンシン大学『感情神経科学研究所』の所長、リチャード・デビッドソン博士は慈悲の瞑想と呼ばれる修行を行なっている僧侶の脳の活動をMRIで計測した。一般的に快活で幸せな気性の人は前頭葉前部皮質の左側の活動が盛んなことが多い。この部位は、幸福感、喜び、熱意と関連づけられている。不安、恐怖、鬱にとらわれやすい人は、前頭葉前部皮質の右側が、盛んに活動している割合が高い。デビッドソン博士が計測した慈悲の瞑想をした僧侶のデータは他の被験者150人に比べると極端に際立っていた。慈悲の瞑想をしていた脳の前頭葉前部皮質の左側(額のすぐ内側)には、非常に活発な活動があったことをMRIは示していた。(瞑想の恩恵をめぐる科学的研究より)


トリン寺

6.金剛乗・タントラ・ヴァジュラヤーナ

チベット仏教ではヴィパサナの土台の上に慈悲の花が咲さいてはじめてヴァジュラヤーナの道が明かされる。ツォンカパは顕教による修行を終えた者のうち、きわめて優れた素質のある者だけがタントラ・ヴァジュラヤーナが許されるとした。その割合は一割にも満たないといわれている。

 ヴァジュラヤーナの分け方はタントラによって相違があるが修行の段階は大きく次の三つに分けられる。

 第一は外タントラで自分の尊格を観想して、そこから慈悲と智慧のエネルギーが自分にふりそそぐように観想する。第二は低次の内タントラで自分自身を尊格として観想してマントラを唱える。第三は高次の内タントラでカギュー派ではマハムドラー、ニンマ派ではゾクチェンと呼ばれる。ゲルー派ではゾクリムと呼び奥義とされた。

 ここではすべてはあるがままで、すでに最初から悟っていたのだと了解する。すでに悟っているのなら悟りに至る道も方法もない。観想もマントラも意識の集中もあらゆる技法はここではもはや必要とされない。あらゆるものが神であるならば神に到達する方法はない。ただ神だけが存在する。

「ある人々は、あたかも神がかなたに立ち、自分たちがこちらに立っていて、まさに神に会おうとしてしているのだと想像するが、それはそうではない。神と私、すなわち、われわれはひとつなのである。」エックハルト

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参考文献
ツォンカパ「悟りへの階梯―菩提道次第論」星雲社
「大乗仏典 中国・日本編 15 ツォンカパ」中央公論社
ツルティム・ケサン「チベット密教」 ちくま新書
「チベット密教 図説マンダラ瞑想法」ビイングネットプレス
クンチョック・シタル 「実践・チベット仏教入門 」春秋社
ツルティム ケサン「チベットの死の修行」 角川選書
ソギャル・リンポチェ「チベット生と死の書」講談社
「チベット仏教の神髄 」チベットハウス
田中公明「チベット密教ー成就の秘法」大法輪閣
ソナム・ギャルツェ・ゴンタ「チベット密教 心の修行」 法蔵館
ソナム・ギャルツェ・ゴンタ「チベット密教の瞑想法」金花舎
「ダライ・ラマの仏教入門」光文社
「ダライ・ラマ瞑想入門」 至福への道 春秋社
「ダライ・ラマ瞑想と悟り」NHK出版
「ダライ・ラマ 怒りを癒す」  講談社  
ケン・ウィルバー「グレース&グリット」(下)春秋社
「ダライラマ心の修行」春秋社
「ダライ・ラマ智慧と慈悲」春秋社
「ダライ・ラマの仏教哲学講義」大東出版社


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