ヘルメスの杖
ケリュケイオン・カドゥケウス
Kerykeion・Caduceus



ヘルメスの母マイア

 ギリシャ・ローマ神話で魔法の杖ケリュケイオン(ラテン語でカドゥケウス)を持つのはヘルメスである。彼の父はゼウスで母はマイアといった。

アルカディア
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マイアは母を意味するアルカディアのキュレネ山の女神で、ヘルメスもそこで産まれた。古代ギリシャにエジプトからフェニキア人にさらわれた巫女によって開かれたという伝説の神託所ドドナがあった。そこで神託をおこなっていたのはプレアデスとよばれる女性預言者でマイアはその一人だった。

 マイアはまた樹木の再生に関わるイタリアの古い女神でもある。マイアはインド・ヨーロッパ語族に属しラテン語の魔術師、支配者、ギリシャ語の祭司、魔術師の由来とされている。魔術では「世界はわれわれの感覚によって引き起こされる幻影にすぎない。」と教える。幻影を起こす魔法の力、宇宙の根源を知覚する意識の源マーヤもまたマイアに関連する。仏陀の母親もマーヤとよばれる。

ヘルメス

神話ではヘルメスが赤ん坊の頃、山羊を盗みアポロンの怒りをかってしまうが、二人はヘルメスの竪琴とアポロンの杖をお互いに交換して仲良くなってしまう。

 ヘルメスはギリシャ以前の先住民族ペラスゴイ人の古い神の一人である。神託の杖ケリュケイオンを持つヘルメスは神の声を伝える神託の神であり、死者の霊魂を導き永遠の生へと再生させる冥界の神でもある。ヘルメスは神界と死者の国と人間界の三つの世界を自由に行き来きる神でもあった。

 中世でヘルメス文書が翻訳されるとルネッサンス以降、聖書と同等に扱われるほど熱狂的に受けいられた。秘教的な教えはヘルメスからアポロンに伝わりオルペウス

ヘルメス
Metropolitan Museum

を経てピュタゴラス、プラトンに受け継がれたとされた。ヘルメスは魔術、錬金術、西洋神秘学の父と呼ばれる。

2匹の蛇

 ヘルメスの杖ケリュケイオンは頭にヘルメスの翼が飾られ、柄には2匹の蛇が絡みついている。よく欧米の医療機関で用いられているおなじみの紋章である。

 2匹の蛇が絡みついている文様はシュメール人、ラガシュのグディア王の杯にも在るようにギリシャ人が現れるより遥かに古い時代のシンボルである。

 2匹の蛇は光と闇、善と悪、天と地、太陽と月、男と女、陰と陽を表し、ヘルメスが杖を持つと2匹の蛇は螺旋状に上昇し二元性は統合されるのである。

 紀元前2000年のシュメールの印章には不死の飲み物を表す容器と門番を表す蛇の王が生命の樹をもって描かれている。聖書の蛇は罪や堕落と関連しているが、聖書以外の神話では精神的、肉体的な生命力と関連している。

蛇のシンボル

 神話で蛇のシンボルは二通りに解釈される。一つ目は蛇の脱皮のイメージから、輪廻、永遠回帰、死と再生。二つ目は太陽の光のように、尽きる事の無い光を得ることの究極の超越のイメージである。

 

 古代では蛇が脱皮する所から死を脱ぎ捨てて再生する生命力と考えられた。アステカやシュメール、アメリカ先住民、インド、ギリシャ、クレタ、中国・長江文明、世界中の至る所に蛇のシンボルが見られる。

蛇の力

 ヨガスートラのパタンジャリには蛇の姿で天界から落ちて来てサンスクリット文法家のパーニニの手に落ちて来たという伝説が在る。インダス文明の印章にはヨーガの姿勢で玉座に座っている人物を礼拝する者の背後に立ち上がっている大きな蛇が描かれている。

 2世紀のインドの石像には説教をしている仏陀の蓮華をささえる二人の蛇王が描かれている。修行者もまた蛇の力によって仏陀に押し上げられるのである。

クンダリニー

 螺旋を意味する形容詞のkundalinにiがついたのが蛇を意味する女性名詞クンダリニーである。ヨガではこの蛇女神シャクティを目覚めさせ背骨にそって頭をもたげさせる。左の睾丸から螺旋状に上昇して右鼻に達する月のエネルギーの白い回路をイダーと呼び、右の睾丸から左鼻に達する太陽のエネルギーの赤い回路をピンガラーとよんでいる。ヨガ行者は陰陽のエネルギーを背骨の基底部に集めとぐろを巻いた蛇女神とともに中央脈管スシュムナーを上昇して各部のチャクラを目覚めさせて行く。

 ブレスのセッションでクンダリニーエネルギーが上昇したことのある体験者はヘルメスの杖のヴィジョンを報告する。なぜならヘルメスの杖は中脈スシュムナー管であり左右の蛇は左脈右脈イダー・ピンガラーを象徴しているからだ。

 ヘルメスの杖には 人々を眠らせたり目覚めさせたりする力が備わっていて病を癒し、死者を蘇生させたり、生を与えたり冥界に送る事も出来た。またヘルメスは火の起こし方を神々に伝え教えた火の発明者でもある。クンダリニーのエネルギーであるシャクティが目覚めると火のように熱く感じられシャクティが立ち去るとそこは死体のように冷たく感じられる。

ラーマクリシュナが語るクンダリニー

インドの聖ラーマクリシュナはクンダリニーエネルギーを次のように表現している。

 こうしたサマディーにあると、霊魂の流れを感じる。それは、まるで、アリ、魚、サル、鳥、ヘビといったものが、動いているかのように感じられる。ときには、その霊魂の流れが、まるでアリが這うように、背柱を上昇していく。そしてまた、ときには、サマディーにあると、霊魂は、聖なる歓喜の海を、魚のように喜々として泳ぎまわる。また横向きになって寝ていると、その霊魂の流れが、サルのように私を押し、喜々として私とたわむれてくれているように、感じられる。私がじ一っとしていると、霊魂の流れがサルのように突然と飛びして、サハスラーラ(最上位のチャクラ)に達する。そのために、人には私がびっくりして飛び上ったように見える。ときにはまた霊魂の流れは、枝から枝へ飛び移る鳥のように、昇っていく。霊魂の流れがとどまると、そこは、火のように熱く感じる。ノノまたときには、その流れはヘビのように上昇する。ジグザグに昇っていって、しまいに、頭に達する。すると、私は,サマディーに入る。人間の精神的意識は、その人のクンダリニーが目覚めない限り、目覚めることはない。
(途中略)
こうした精神状態に私が達する直前、クンダリニーがいかにして目覚め、さまざまな中枢にある蓮華が、いかにして開花し、そして、それらすべてが、いかにして頂点に達して、サマディーにいたるのかが、私に啓示された。これは極秘の体験である。私にそっくりな22~3歳の男性が、スシュムナー管に入って、各蓮華と交わり、舌でその蓮華をなめるのを見たことがあった。彼は、まず肛門にある最初の中枢を通り、それから、性器や臍などにある中枢を通っていった。各中枢にある蓮華は、それぞれ、4弁、6弁、10弁などいろいろであるが、しおれかかっていた。ところが、彼が触れたとたん、ぴんとなった。はっきりと私が覚えていることであるが、彼が心臓に達して、そこにある蓮華と交わり、舌で触れると、しおれていた12弁の蓮華は、その花弁をぴんと開いた。それから、彼は咽喉にある16弁の蓮華と、額にある2弁の蓮華に達した。そして最後に、頭頂にある千の花弁のある蓮華の花が開いた。それ以来私はこうした状態にある。(聖ラーマクリシュナの言葉)

昏睡したドラゴン

 最も基底にある蓮華ムーラダーラの図では、インドラの象の上に子宮を象徴する逆三角形がのっている。その逆三角形の中で蛇女神はリンガム(男根)に巻き付いて眠っている。下位のチャクラは他のチャクラにくらべて精神性が弱く、本能的な欲望がとぐろを巻いている。精神は客観的に観察できる物質的な事実だけを昏睡状態で受け入れている。真の自己の霊性を忘れ、ただ肉体にしがみついているのである。

 神話でクンダリニーはドラゴンに例えられる。ドラゴンは美女や宝石を好み、そうした宝物を集めて貯め込んだり守ったりする傾向がある。ドラゴンはそれらの価値がわからず活用もできないくせに執着して、無駄にしているのである。下位のチャクラの段階では蛇女神が眠っているようにドラゴンは昏睡している。

 性エネルギーを物質的な次元で固執すると病的になる。すべての思考と行動が性と言う目的を達成する手段となり、すべてが性を思い出させ、性に囚われ、性から逃れられず苦しむ事になる。刑務所に入っている囚人はなんらかの挫折感や欲求不満を抱いているという。性の衝動に焦点をあわせると、興奮し熱中して、妄想を物質的世界で表現しようとして、暴力やレイプという行動をとってしまうのである。

 クンダリニーは自分の欲望を抑制することをしらず、自分の執着しているものを手放そうとはしない。そこでヨガ行者は性エネルギーをより上部にある中枢に移行させ性以外の他の目的に自然にむかわせるのである。

 ヨガの目的はムーラダーラで頑固に動こうとせずに、しがみついている昏睡状態のドラゴンを打ち破り、宝物を手に入れ囚われていた王子・王女を解放してやることである。主人公は夢から醒め、聖婚の間である頭頂のチャクラで結婚をし、永遠の命と至福である宝物を手に入れるのである。

 ヘルメスの杖は偽りの自我を脱ぎ捨て真の自我に至る円環構造を蛇を利用することで表現しているのである。そしてこれはヘルメスを始祖とする神秘主義や錬金術、カバラの象徴でもある。

引用・参考文献

世界樹木神話」ジャック・ブロス 八坂書房
神話のイメージ」
ジョゼフ・キャンベル大修館書店
人はなぜ治るのか?」
アンドルー・ワイル 日本教文社
身体症状に「宇宙の声」を聴く」 
アーノルド・ミンデル 日本教文社

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