女神の時代 地母神信仰
 Age of Goddess


古代の最高神

 古代の神々の最高神は女神で、地母神信仰が盛んだった。古代社会では母親が主な親であり、大地と母は命を生み出す事から同一視されていた。やがてゼウスのような男性の天候神が力をもつようになり、血を血で洗う男性神による都市の侵略がおこり、相手を皆殺しにするような凄惨な戦いが始まった。

 数多くの神話はその様子を描き出している。聖書の創世記にも、一神教を奉じるヤコブの一族が、シケムの町を一夜にして滅ぼす恐ろしい話がのっている。ギリシャ神話にでてくる神々の多くは先住民のギリシャ以前の神々だといわれている。ケルト神話もそうだが、征服した部族神と戦いに破れた部族の神々が、混合されていったことが伺える。ガイア信仰のもとは、石器時代から面々と続いて来た、地母神信仰がルーツだといわれている。

地母神信仰

 1961年にトルコで、女神信仰を裏付けるチャタル・ヒュユクの遺跡が発見され、約一万年前には地母神信仰による母系社会が築かれていた事が解って来た。トルコはアナトリアとも呼ばれていたが、意味は女神溢れる土地といわれる。

 神話のメドゥーサは、髪が蛇で彼女を見た者は石にされてしまう怪物だが、元々は美しい髪の姿をした女神だった。 メドゥーサは、ガイアの子供と海の子との間に出来た孫で、3姉妹の一人である。メドゥーサはリビアの女王という説もあり、ギリシャ以前の先住民を表していたと思われる。メドゥーサはあまりにも美しかったので、ゼウスの娘アテナに嫉妬されてしまう。そしてその美しい巻き毛は蛇になり、恐ろしい怪物の姿にされてしまった。最後はゼウスの息子ペルセウスに首をはねられてしまう。この神話は征服されて姿を消した、数多くの先住民の運命を表していると思う。

メドゥーサのレリーフ
トルコ・ディディム遺跡

 女神アルテミスは、一万年前から続く地母神を受け継ぐ先住民の最高神だった。しかしギリシャ神話のアルテミスは12神の一人に格下げにされてしまった。東北地方のアラハバキ神が田村麻呂の蝦夷征伐以降、末社に落とされてしまったのと同じだ。

インドの女神

 インドでも同じようにガンジス川をあらわすガンガーは女神の名である。弁財天のサラスヴァティーも元は川の女神の名である。インドでは、アーリア異民族が侵入してきて、ドラヴィダ文明の土着の女神は服従させられた。土着の女神は異民族の守護神の妻になり神々は混交したのである。インド先住民のドラヴィダ人が追いやられた、南インドでは村の神のほとんどは女神である。

サラスヴァティー


 斎藤昭俊著『インドの民族宗教』によると南インド・タミルナドゥの女神で人気があるのはマリアンマで天然痘の女神だ。天然痘の女神の名はシータラーだが、村によって名前が異なるので異名が多い。彼女は執念深く冷酷だ。怖そうだが天然痘の女神の霊力は強そうである。その下に男性神アイエナルがいて、南インドでは男神は女神の従神になっている。コレラの女神はオライチャンディ、またはオララビと呼ばれタミルナドゥではピダーリとよばれカーリー女神はここでは悪霊から村人を守るコレラの守護神だ。

南インドの母系社会

 今でも地母神信仰の名残りが色濃く残っている地域が南インドだ。北インドでは妻の座は一番低い位置に置かれているが古代の母系社会の伝統を受け継いでいる南インドでは妻の座は高い。面白いのは結婚した女性はスマンガリーと呼ばれて縁起が良いとされることだ。子供の試験、旦那の大事な取引があるときは母親が縁起を担いで先に門をくぐる。
逆に縁起が悪いのは一人で歩いて来る男のバラモンである。縁起が悪いバラモンに遭ったときは家に引き返し出直すのだという。バラモンが奥さんを連れて歩いている場合は女性の吉性のお陰で男の凶は帳消しになる。

 南インド、タミルナドゥーではチャダングと呼ばれる初潮の儀式がある。父系社会の北インドでは女性の地位が低いのでお祝いするどころか嫌われて隠されるが母系社会の伝統がのこっている南インドでは逆にお披露目をする。南インドでは経血が流れることで女性の体がきれいになると考えるので初潮祝いをする。同じように儀式で動物の血を流すのは神聖な寺院を清浄にすることも意味している。

 南インド、ケーララ州のナーヤル・カーストでは今世紀初頭まで母系社会だった所として知られている。ここでは初潮の儀式の時だけ儀礼上の花婿と3日間だけ一つの部屋ですごし、それ以降は夫婦関係を解消し、少女は成人女性として認知されアンマ(母の意)とよばれる。

 初潮を迎えると3〜8人くらいの複数の通いの夫をむかえ、この妻問い婚のことをサンバンダムとよぶ。夫になる男性は親族とともに女性の家にいき布をおくる儀式を済ませたあと夕食後に妻を訪ね翌日の朝食前には妻から去るのが夫の習わしだったようだ。たの夫とバッティングしないようにそのさい部屋の前に武器を置いた。そうすれば後から来た夫に先客がいることを知らせることが出来たわけだ。

 ナーヤル・カーストではそのためカーラナヴァンという族長を頭にした大家族だった。そしてその族長は叔父から甥に受け継げられた。族長の子供は受け継げられずにその大家族の中に消えてしまうのである。

 インドのヒンドゥー教は、男神が優位で女神が下位だ。インドに侵入してきたアーリア人の神が戦う男性神で、先住民の神が女神であることと符合する。先住民のドラヴィタ人の子孫が住む南インドでの村神はほとんどが女神で、男性神は女神の命令を伝える役目にしか過ぎない。南インドでは、アーリア人が侵入する前の古代の女神信仰が、色濃く残っていたが、イギリスにインドが支配された19世紀後半には市場経済や西洋近代社会の教育が入り込み母系社会は徐々に崩壊し父権社会にとって変わっていった。

成人式

 部族社会のイニシエーションは、幼児期の自我を殺して成人する事に、関わっている。幼児期に、依存の条件付けが刷り込まれるので、大人になる為には両親に依存する事から卒業して自立しなければならない。 そのために感受性の高い時期に成人式にあたるイニシエーションをして、両親の依存から脱却して責任を持つことを学び、共同体の一員になるのである。現代社会の問題はイニシエーションを受けられずに、幼児期から脱却できない病的な大人が多い事である。幼児期を卒業しなければ、自分の生き方や行動に責任をもたず、失敗したときは、社会や回りに責任を押しつけてしまうのだ。    

エレウシスの秘儀

 エレウシスの秘儀はローマ・ギリシャ文明よりも長く、キリスト教そのものの長さにほぼ匹敵くらいの2000年以上続いた古代のイニシエーションだ。その内容を語る事は禁止とされ秘密にされてきた。アテネ近郊のエレウシスの町は、土の女神デメテルと小麦の穂を現す娘のペルセポネの、ギリシア神話における地母神信仰が盛んだった場所である。

 世界中の農業神話の底流には、穀物の種は土に蒔かれて種は死に、そこから多くの穀物が育つという、死と再生の象徴がある。

 テレンス・マッケナによると、エレウシスの秘儀には麦角が使用されたようだ。麦角には幻覚を誘発するアルカロイドが含まれているので、自我の境界を超える体験が起きた事が想像される。幻覚体験やシャーマンの神話には、バラバラに刻まれ殺されて埋められた死体から、穀物が育つというヴィジョンがある。エジプトのイシスの神話にも見られる。

オルペウスの秘儀  

 エレウシスの秘儀とともに知られているのはオルペウスの秘儀だ。 オルペウスの象徴が竪琴のように、秘儀に使われたのは音楽だったようだ。音楽には変成意識を起こす力があるので、オルペウスの秘儀を請け継いだのは、菜食主義者のピタゴラスとその弟子たちだったといわれる。

「私は我が目の視力によらず、私が偉大なる神々から引き出した霊的な活力によって、ものの姿を私自身に表す。私は天国に、地に、水の中にいる。私は空中に、動物、植物の中に、子宮の中に、懐胎の前、生誕の後、あらゆる所に存在する」オルペウス文書

 オルペウス文書を読むとヨーガや密教の象徴と共通していることが伺える。神秘主義がいっている事は、私という存在を認識しているのは、おおいなる存在の一部にしか過ぎないという事を暗示していると思う。

古代の性生活

 1861年に出版された古典『バハオーフェンの「母権制」は2巻本の分厚い本だが、古代の婚姻制度や性生活について興味深いことがのっている。

 婚姻制度がなかった古代の性生活は、完全な自由だったという。母権社会から父権社会へ移行する間の、現代の一夫一妻になるまでには、多種多様な形態があったらしい。いっぱんにゴリラは一夫多妻制でチンパンジーは雑婚だといわれるが古代はその形態に近かったのである。
           
 ギンダネス人の女は、男とSEXするたびに足輪を一つずつはめる。最も多く足輪をはめている女が最も多くの男に愛されたというので部族では最高の女とされる。

 アウエセス人には正式な結婚はなく同棲せず家畜同然に交わり、生まれた子供は生後三ヶ月したらもっとも顔つきの似た男の子供とされる。マッサゲタイ人は他の男の女と共有し、衆人の面前でも平気で交わったという。

 インドのデカン高原の部族にも最近まで古代の慣習があった。結婚前の部族の若者は男女すべて交わり、その中から気のあった者たちが結婚するので、みな別れる事なく仲良く暮らしたという。

 日本にもにたような習慣がかつてはあった、「若衆宿」や夜這いのなどの習慣である。

古代の婚姻制度

 エチオピアのアウギラエ人は、婚礼の晩に贈り物を持参したすべての男たちと寝ることは神聖な行為と信じた。そしてもっとも多くの男たちと寝る事は最大の名誉な事とされ結婚した後はきわめて貞節だといわれる。
アウギラエ人の贈り物とは売春代にあたる。それが花嫁の持参金になるのである

 部族の男女が共有する理由は「互いに兄弟となり部族民全部が近親となって、相互の間に嫉妬や憎悪の念が生ぜぬようにするためだといわれる。しかし一族のものがすべて兄弟姉妹になるという事は反面、血族関係がまったくない部族とは敵対関係がうまれやすかった。母性原理は統合し結びつけ、男性原理は分離し敵対するのである。

 現代からみれば男が子供を持たないことは奇妙に思う。しかし誰の子か判らなければ父は子供を持つ事は出来ない。雑婚の場合、父親が誰かは解らなくとも母は誰であるかは確実にわかる。かくして性交が自由に誰とでも行なわれることをくりかえしていると、個人の特徴は薄くなり種族としての個性になる。誰が父かわからなければ、全員、族長を父とする。すべての財産は族長に帰属した。

 リキュア人の母権社会では族長は男だがその権力は女に由来する。王位支配権は姉か妹の子供に委譲され族長の子供は一族全体の中に消える運命にあった。


神聖な女性

 婚姻制度が起こる前の部族社会では近親関係がきわめて濃厚だった。トログロデュタイ人の部族は族長以外の妻子を除いては女性と子供は共有するという。女たちはとても念入りの黒化粧をする。部族の男たちは牧草地などををめぐってあらそいが起こると、最初は拳でなぐりあうだけだが、エスカレートすると次には石を投げあい、負傷すると弓矢や剣を持ち出して戦い始める。そんなときは女たちが戦っている男たちの間に入って戦いをやめさせるという。

 戦いをおさめるのは年長の女性という。彼女たちは尊敬されており、彼女たちを傷つけてはいけない掟があったからだという。

 このように老婦人たちはケルトやゲルマン人の間でも部族間の争いをおさめ、血の復讐の代わりに和平と同盟を結ばさせた。この智慧はベーリング海峡をわたってアメリカ大陸へ移り住んだネイテヴ・アメリカンのイロコイ連邦に受け継がれている。

 古代では女性は神聖にしておかすべからざる存在だった。トログロデュタイ人の女性が顔を黒く化粧をするのは豊穣の大地を表し、昼を生み出す夜の闇と結びついている。

 インドのコルカタの守護神であるカーリー女神は色が黒い。インドのケーララにマータアムリタナンダマイ通称アマチと呼ばれる女性グルがいる。アマチは生まれた頃から肌が黒く、トランス状態になることがあり、神がかった時だけ肌が暗青色なったという。その時にはデーヴィー(女神)が顕現しているとされる。ケーララの人は一般に肌が黒いひとが多いが両親や周りの人にくらべて特に黒かったのでアマチはいじめられたといっている。

 ヨーロッパのピレネー山脈東部、プロヴァンス地方の山間部の教会やブルターニュ地方ギャンガン には黒いマリア像が置かれている。その場所はかつてケルトの聖地だった。黒い聖母像には古代の地母神信仰の痕跡を見てとれる。

神婚儀礼

 バビロニアの女性は一生に一度、イシュタルの神殿で見知らぬ男と交わらねばならなかったという。信者はイシュタル女神を礼拝している限りは純潔とされ、勤めを終えるまで結婚することは許されなかった。器量の良い女はすぐに勤めを終えたが、器量の悪い女は3年も4年も待たされたという。またイシュタル神殿には神殿男娼もいたという。旧約聖書に神殿娼婦男娼のことが載っておりイスラエルの神殿では禁じられていた。女神を奉る神殿では信者が売春しその代金を献金として納めていたのである。

 神婚儀礼は古代においては大地の豊穣、穀物の再生と復活、女性の多産多殖の象徴だった。

 しかし歴史的には女神の神殿による女性の生贄はだんだん簡素化されていった。
毎年繰り返されていた供儀は一回になり、既婚者によっていた神殿での娼婦奉仕は未婚の女性だけになり、無差別的に男性に身を委せていたものから特定の男性に限定されるようになった。ついには特定の身分の女性が請け負うことになり、他のすべての女性はいっさいの供儀から解放されることになった。

 インドのテルグ地域には古代の習慣が残っている。祭儀を執り行うのは普通バラモンだが南インドでは村の民族神の祭儀はアサディと呼ばれるアウトカーストが水牛の供儀にかかわり、そこで女神をたたえる唄を歌う。そしてアサディの女は結婚せずバサディと呼ばれる女神に捧げる淫売婦にされる運命にある。

アマゾン女族

 誰とでも自由に無秩序に性交渉しなければならない屈辱的な状況に怒りが込み上げた女性もいた。武器をとって戦ったアマゾン女族である。アマゾン女族は伝説と思われていたが近年発掘調査が進み黒海沿岸にいたことが判明している。

 アマゾン女族については一般に種族保持のために、毎年、時を定めて他国を征服し男と交わり子種を得えて、生まれた子どものうち男児は殺し、女児のみ育て女だけの社会を作ったと伝えられている。しかしアマゾン女族の話には後世の想像の脚色も入っていたらしい。実際にはアマゾン女族の女王の下に女性が決定権を持ち、男の軍隊と女の軍隊があったということである。

 ディオドロスの『世界史』には「法律を定め、女たちには従軍させ、男たちには卑しい奴隷の仕事を課した。男児が生まれると、脚と腕を不自由にして、戦えなくし、これに対して女児は右の胸を焼かれて、大きくなったときに戦場で(右の乳房が弓を引く上で)邪魔にならないようにした。それゆえ、この民族はアマゾン(乳房がないもの)と呼ばれるようになった」とかかれている。

 アマゾン女族は母権社会と父権社会の軋轢が生んだ鬼っ子だった。本来、母性原理は戦うことより、愛することのほうがふさわしい。現代でも競争社会の中で女性エネルギーを封印し、男性エネルギーで活躍している女性がいるが内部でエネルギーが分断されているため、様々な葛藤が生じている。

 ギリシャのテセウスと戦ったあとアマゾン女族は戦う事につかれたのか戦闘を放棄し同盟をむすびアルテミス神殿をたてたという。このあたりから父権社会が力を持ち始め婚姻制度がはじまったと伝えられている。

新しい社会

 古代では長い間、インドからエーゲ海まで広範囲の地域で女神が信仰されていた。そこへ北方からインドヨーロッパ語族が侵入して女神は征服され父権社会が今日まで続いている。 次の時代には新たな女神の時代の訪れるのかあるいは母権社会と父権社会を超えた新しい統合された社会が現れるだろうか?

引用・参考文献
ヨハン・ヤコプ・バハオーフェン「母権制」白水社
ヨハン・ヤコプ・バハオーフェン「母権制下」白水社
安田喜憲 「大地母神の時代」角川書店
村武精一編「家族と親族」未来社
ジョーゼフ キャンベル 「生きるよすがとしての神話」角川書店
斎藤昭俊著『インドの民族宗教』吉川好文館
テレンス・マッケナ『幻覚世界の真実』第三書館


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