クリシュナムルティは幼児の頃見いだされ世界教師として神智学協会に育てられた。人智学協会をはじめる前のシュタイナーは神智学協会のドイツ支部長だった。神智学の教えでは隠された秘密の智慧を伝授する教師(アデプト、マスター)達がいてそれを地上界に仲介する伝達者に選ばれたのがブラヴァツキー夫人ということだった。
ブラヴァツキー夫人(Eelena Petrovna Blavatsky)はチベットに7年以上滞在しチベットでジュワル・クールとよばれるマスターから奥義を伝授されたという。ジュワル・クール大師の肉体はチベット人の姿をしていてチベットの僧院長でシガツェに居住しているということから、これは、きっとタシルンポ寺のパンチェン・ラマを元にした話なのだろう。あくまでもブラヴァツキー夫人の語る話では、そうだが、その当時のチベット入国は非常に難しかった。
英東インド会社のジョージ・ボーグルは1774年チベットと通商協定を結ぼうとしてタシルンポ僧院を訪れ、パンチェンラマ3世に面会している。ボーグルはチベット人の妻と結婚をしてイギリスに帰国し子供ももうけた。チベットのシガツェの様子はヨーロッパでは知られていた。河口慧海がチベットに入ったのは1901年である。
チベットで奥義を授かった22年後、パリでジュワル・クール大師からNYへ向うよう指示されたブラヴァッキー夫人は1873年の夏アメリカ大陸へ渡りアメリカ市民となった。
初代神智学協会の会長だった退役軍人のオルコット大佐はその当時ジャーナリストで心霊術の取材中にバーモント州でブラヴァツキー夫人と出会った。その当時ブラヴァツキー夫人は霊媒として交霊会を開いていた。オルコット大佐はブラヴァツキー夫人が霊に支配されるのではなくて、むしろ霊を従わせる態度に深い感銘をうけた。
プラヴァツキー夫人はスピリチュアリズムを受け入れている訳ではなく、むしろ疑問をもっていた。霊のほとんどは嘘をならべたてる「地縛」霊にすぎなく、交霊会の多くは時間の浪費だと語っていた。
ブラヴァツキー夫人には生涯、胡散臭ささがつきまとった。彼女はいかさまをしたと攻撃され、しばしばスキャンダルにまきこまれた。ブラヴァツキー夫人にとって心霊術は目的ではなく手段にすぎなかったようだ。スキャンダルも肥やしにするようなエネルギーが彼女にはあった。失われた古代の知識を伝え人々に霊的覚醒をもたらすことが自分の使命と自覚していた。
オルコット大佐にはエジプトのルクソールから、セラピスト・ベイというマスターから手紙が届いた。ブラヴァツキー夫人はこの世界で特別な任務を持っているので、どんな犠牲をはらっても彼女を守らなくてはいけないというものだった。マスターによって自動書記で書かれた手紙マスターレターは突然空から降ってきたり、忽然と食卓に出現した。
これ以降、神智学協会には他の人々にもマスター・レターが出現し、正統を名乗り物議をかもした。
オルコット大佐には四人の子供がいたが妻と離婚し、ブラヴァツキー夫人と行動を共にした。彼は世俗的な仕事を投げ出し、禁酒をして菜食主義になり、秘密の知識を広めることに余生をかけることを決意した。
Blavatsky Study Center
http://www.blavatskyarchives.com/
ブラヴァツキー夫人の周りに、スピリチュアリズム運動の支持者、ライヘンバッハのオド・パワー、メスメリズム、催眠療法、数秘術、古代エジプト密儀宗教、カバラの研究家、フリーメーソンの会員、英国薔薇十字協会会員などのメンバーがあつまり、1875年ニューヨークで神智学協会が発足した。初期の会員には発明王のエジソンもいた。
14丁目の神智学協会発祥の地
神智学協会は表向きは会長制を取っていたが、ブラヴァツキー夫人の晩年はロンドンとオルコット大佐のインド、ウイリアム・ジャッジ(William Quan Judge)のアメリカがそれぞれ独立して管理していた。それぞれの間には主導権を握る確執もあった。アメリカのジャッジは神智学協会の会員数を増やし、経済的にも成功していた。社会主義者だったアニー・ベサント(Annie Wood Besant)はブラヴァツキー夫人と出会い神智学の会員となり彼女が病死したあとその後をついだ。
法律事務所に務めていたジャッジは神智学協会発足当時は書記だった。アニー・ベサントがオルコット大佐の死後その後釜に座るとジャッジは反発した。ベサントを支持するマスターレターとジャッジを支持するモリヤ大師のマスターレターをそれぞれ公開し、お互いに偽物と非難しあった。結局、神智学協会はアメリカとインドのアディヤールに分裂した。
現在アメリカで神智学協会といえばジャッジの米国神智学協会をさす。ジャッジの死後はキャサリン・ティングレー(Katherine Tingley )が後をついでサンディエゴから海に突き出した半島 ポイントロマにNYから拠点を移した。
ブラヴァツキー夫人の死後、大師からメッセージを受け取ったチャネラーにアリス・ベイリーやヘレナ・レーリッヒがいる。
キャサリン・ティングレー Katherine Tingley (1896)
Vol.4 アリス・ベイリー Alice Bailey
ヘレナ・レーリッヒ(Helena Roerich)は1879年2月12日ロシアのサンクトペテルブルクで生まれた。ヘレナの母親は名門の娘で作曲家ムソルグスキーのいとこだった。
1901年10月28日に画家ニコライ・レーリッヒと結婚。1913年ニジンスキーが踊りストラヴィンスキーが作曲したバレエ「春の祭典」の台本と舞台美術を夫のニコライが担当した。 1917年、夫ニコライの肺病の為フィンランドで療養中にロシア革命が始まり国境が閉鎖され、一家はロシアに帰国出来なくなってしまった。
1917年イギリスへ渡り、神智学協会会員となる。この頃モリヤ大師からヘレナはチャネリングでアグニ・ヨガの教えを受け取った。当然、アニー・ベサントと意見があわず、1920年にニューヨークを訪問し、そこでアグニ・ヨガ協会を設立した。
アグニとはサンスクリット語で火の意味を持ち、シャクティ、クンダリニー、プラナーなどのエネルギーを現す。
現在、人類は低次のチャクラの状態にあり、闘争や破壊に明け暮れている第5人種の段階にある。人類は進化から取り残されてしまったのだ。ヘレナの生きていた時代はロシア革命、第二次世界大戦とまさしく戦争に明け暮れていた時代であった。
低次のチャクラから支配される状態から、次の進化にむけて惑星規模の変容を起こすには、新しい人種の誕生が不可欠である。
新しい人種を、アグニヨガでは第6人種と呼ぶ。火の人種である。次の時代は火の人種が触媒となり、錬金術が起き地球は高次の波動を持つアストラル体の惑星へと進化する。現在、太陽系は高エネルギー帯に入り、アグニの時代に移行しつつある。その為に生まれながらに、火の人種を自覚を持って誕生する人々が、地球上に誕生しはじめているのである。
1922年、4年間に渡るチベット、モ ンゴル、シベリアまでを含む中央アジアを夫婦で遠征した。レーリッヒはシャンバラの入り口サンポ峡谷(Sangpo)に到達したと報告している。
1925年にアニー ・ベサントはクリシュナムルティを長とする教団を設立してマイトレーヤー宣言を出した。翌年ヘレナは『モリヤの庭の木の葉1924』『モリヤの庭の木の葉1925』を出版して自らがシャンバラのモリヤ大師からのブラヴァツキー夫人の正統な後継者であることを主張した。1929年に一連のアグニ・ヨガ関連書籍を出版『シークレット ・ドクトリン』をロシア語に訳して出版した。
モリヤ大師 Master Morya
ニコライ・レーリッヒ 「ミラレパ」
NYレーリッヒ美術館
http://www.roerich.org/index.html
アグニ・ヨガ
http://www.saturn.dti.ne.jp/agni/page7.htm
アグニ・ヨガ 英語
http://www.agniyoga.org/index.html
ヘレナ・レーリッヒの伝記
ヘレナ・レーリッヒ財団
http://www.found-helenaroerich.ru/eng/
神智学の教えでは人間は転生輪廻を繰り返しながら進化し、ついには魂が完成してカルマから解放される。魂が進化してある段階にくるとイニシエーションに入る準備ができる。そして、秘儀参入をはたすとマスター(アデプト・マハトマ)の段階へと導かれる。世界を支配しているグレート・ホワイト・ブラザーフッドの一員となるのである。そして何人かのマスターは人類の進化に手を貸す為に人間の姿にとどまるとされる。
ところで、これは大乗仏教の菩薩の概念を、そのまま神智学の教えとしたもののようだ。いつでも悟りの境地に入れるにもかかわらず、すべての衆生が済度されるまでは涅槃に入らずとどまるのは菩薩である。人々の苦しみを救うために人間の姿をとるのは報身の仏ともいう。
クートフーミ大師 Master Koot Hoomi
神智学協会を特に導いていたマスターはクートフーミ大師とモリヤ大師である。さらに大師よりすぐれた上の存在が設定されていてロードマイトレーヤーとよばれる世界教師がいる。世界教師はいままでに2回現れていた。紀元前4世紀に現れたクリシュナであり、次はイエスであった。世界が必要とされるとき、新しい教えを広めるためにはロードマイトレーヤーは肉体に宿らなくてならない。
神智学の考えでは、もうすぐ第5種の人類から第6の人種に進化する為に新しい教師が誕生する手筈だった。ブラヴァツキー夫人は神智学協会はその準備をするために設立されたと秘教部門で秘密裏に語った。ブラヴァツキー夫人の死後5年後、アニー・ベサントにより公表された。
世界教師の候補はアニー・ベサントがアメリカ公演中に探しだされた。米国神智学協会幹事長の息子で13歳のフバート少年だった。ところがベサントが容姿端麗なフバート少年を気に入り、すっかりその気になっていたがC・W・リードビーター(leadbeater)は風采のあがらない別な少年を見つけ出していた。のちのクリシュナムルティである。神智学協会秘教部門の書記の息子だった。
クリシュナムルティとリードビーター
C・W・リードビーター(Charles Webster Leadbeater)はオルコット大佐と同様にたちまちブラヴァツキー夫人に魅了された。リードビーターは牧師だったがブラヴァツキー夫人の弟子になり菜食主義者となり、今までの人生を何もかも捨ててイギリスからインドへ向った。
ブラヴァツキー夫人は内気なリードビーターの性格を7週間の船旅の中ですっかり変えてしまった。尿が入った瓶をもって船客が通るメインデッキをリードビーターが、歩くようにブラヴァツキー夫人は命じた。その後「けっして、他人が自分をどう思うか気にかけなくなった。」とリードビーターは語った。
ブラヴァツキー夫人の指導もあってリードビーターはインド滞在中に優れたサイキック能力を発達させた。
1893年アニー・ベサントもまたインドを訪れサイキック能力は頂点に達した。ベサントの師はモリヤ大師であり、クートフーミ大師はリードビーターの師だった。ところがアリス・ベイリーの指導霊がクート・フーミ大師でヘレナ・レーリッヒはモリヤ大師から指導受けていた。となると、協会の中で権力を握っていたニー・ベサントが勝手にチャネリングした人物に対して破門をいいわたすのは当然の結果だった。
しかし、アニー・ベサントがオルコット大佐の後を継いで神智学協会の会長に就任すると、彼女のサイキック能力は下降した。会長職は権力闘争の政治の世界だったので、当然と言えば当然だが、そのためアニー・ベサントはリードビーターのサイキック能力に頼らざるをえなかった。
Vol.8 サイキック能力
アニー・ベサント
Vol.9 クリシュナムルティ Jiddu Krishnamurti
クリシュナムルティ 1920
神智学協会の指導部内ではあいかわらず内紛が起きていたが神智学協会の会員は増え続けた。
オルコットの後を継いだ神智学協会2代目会長アニー・ベサントは世界教師の器を探し出し、その面倒を見ることを使命と感じ生涯クリシュナムルティに献身的につくした。
星の教団でクリシュナムルティは世界教師として講演した。
クリシュナムルティの体を借りてロード(導師)マイトレーヤー(弥勒菩薩)が話している時クリシュナムルティは別人のように変容した。「いつにない威厳が備わり、また彼の顔は異様に力強く、いかめしくなり、半分閉じたその目は異様な輝きを宿していた。また声も一層深く充実して響き渡った。」
しかし、ロードマイトレーヤーが講話している間、何故かクリシュナムルティはそれを聞くことが出来なかった。何を話していたか覚えていなかったのである。まさしくシャーマニズムでいわれる憑依である。
誰もがロードマイトレーヤーの臨在を確信しているとき、ウェッジウッドは暗黒の力がクリシュナムルティに働いていると主張してクリシュナムルティを困惑させた。
ウェッジウッドは神智学協会のイギリス事務総長を務めイギリスのリベラル・カトリック教会の司祭の任命を受けていた。ウェッジウッドはリードビーターをリベラル・カトリック教会の司教に任命した。ウェッジウッドが変態性欲であるとロンドンの警察は告発を受けていた。ウェッジウッドにはリードビーターと同様な同性愛疑惑もあった。
キリスト陣営からのニューエイジに対する嫌悪感は相当激しい。ローマ・カトリックから別れたリベラル・カトリック教会の中枢が神智学協会の幹部ではキリスト教会が悪魔にのっとられたようなものである。サタンの魔の手が忍び込むことを恐れキリスト教陣営がニューエイジを攻撃するのは無理がないかもしれない。
クリシュナムルティはアニー・ベサントには誠意をつくしていたが神智学協会にまつわる形式張った儀式やゴシップやごたごたにうんざりしていた。神智学協会ではクリシュナムルティが現れてからは世界教師・ロード ・マイトレーヤーの噂でもちきりだった。
クリシュナムルティの両親には11人の子供がいたがほとんどが生後死亡し、母親も10歳の時に死亡している。のこされたのは4人で長兄のシバラムとアニー・ベサントが養子として引き取ったクリシュナムルティとニティヤナンダ、末の弟のサダナンダは知恵おくれだった。
クリシュナムルティとニティヤナンダとリードビーター
クリシュナムルティはオックスフォード大学の受験を三度も失敗して大学をあきらめたのだが弟のニティヤはオックスフォード大学の法科を優秀な成績で卒業した。
クリシュナムルティとニティヤナンダ
世界教師の自覚を持ち始めた1922年双子の様に仲良しだった弟のニティヤは病死した。ニティヤは重要な役割があり、死ぬはずはなかった。そう信じていたクリシュナムルティは完全に打ちのめされた。
その苦痛を通り抜けたとき、クリシュナムルティはあきらかに変容した。
クリシュナムルティはマスターと呼ばれる霊的存在について1927年に講話した。
クリシュナムルティの母がクリシュナの熱狂的な信者だった子供の頃、ヒンドゥー教の教えそのままの笛を携えたクリシュナが現れた。成長してリードビーターと出会ってからはマスター ・クートフーミに会った。さらに成長するにつれてロード ・マイトレーヤーに会うようになった。その姿はいつも神智学協会で教えられたとおりでクリシュナムルティが思う姿で現われた。この講話のころクリシュナムルティはブッタによく会っていた。
アニーベサントとクリシュナムルティ 1911
それについてこう話している。
「あなたがたがそれをどう解釈なさろうと自由です。私にとって、それはすべてなのです。それはシュリ ・クリシュナであり、マスター ・クートフーミであり、ロード ・マイトレーヤーであり、ブッダであり、しかもなお、それらすべてを超越した存在なのです。あなたがたがどんな名前をつけようと関係ありません。 ノ ノあなたがたが困惑しているのは、ある特定の、クリシュナムルティという人間の肉体に顕現した世界教師というような人物が、はたしているのかいないのかということです。しかし世問では、誰もこんな間題で悩んだりはしないでしょう。ですから、〈愛するもの〉について話す際の私の見解はおわかりでしょう。私が説明しなければならないというのは残念なことですが、しなければなりません。私はそれを可能なかぎり曖昧にしたいと思っており、今までそうしてこられたと思っています。私の〈愛するもの〉は開けた空であり、花であり、すべての人間なのです。」
超越した存在についてはおそらく何を説明しても何を言っても、我々、凡人は的を外して聞いてしまうだろう。好奇心だけが頭をもたげ、かえって道から遠ざかってしまうだろう。ゴータマ仏陀が如来は死後存在するかしないかの議論は無益であるといったのは哲学的論議は涅槃に導かないからである。
「私は〈愛するもの〉とひとつだということを確実に言えるようになるまで、話をしなかったのです。私はあなたがたが望むことを曖昧に一般化して話してきたのです。私は「私が世界教師である」とはけっして言いませんでした。しかし今、私は私の〈愛するもの〉とひとつだと感じます。私の権威を押しつけて、私の偉大さ、世界教師の偉大さ、あるいは生命の美の偉大さなどをあなたがたに確認させるためではなく、ただ、あなたがたの心情の中に、そしてあなたがたご自身の精神の中に、真理を求めようとする欲望を目覚めさせるために、私は言うのです。もし私が、私はその〈愛するもの〉とひとつであると言うならばそして私はそう言うつもりですがそれは、私がそれを感じ、知っているからです。私は私が切望していたものを見出し、ひとつになったので、今後は何の分離もないでしょう。なぜなら私の考え、私の欲望、私の切望そういった個人的な自己は破壊されたからです。 ・ ノ私は、朝の大気に香りを放つ花のようなものです。それは、誰がそばを通り過ぎようといっさい気にかけません。」
「私は〈愛するもの〉とひとつになっているので、〈愛するもの)と私はともに地上をさまようでしょう。 ノ ノ瘉 、するもの〉とは誰か、などと私に訊くのはよくないことです。説明して何の役にたつというのですか?なぜなら、あらゆる動物、あらゆる木の葉、あらゆる苦悩する人たち、あらゆる個人の中に〈愛するもの〉を見ることができるまでは、〈愛するもの〉を理解することはできないからです。」
クリシュナムルティの意図は世界教師やマスターについての論議を生み出すことではなく、真理を求めようとする欲望を目覚めさせることにあった。
そして、誰かに依存することなく、真理は内にあることに気がつき、体験の中で真理を見出すことが唯一の価値あるものと語った。
そして、このあとに世界教師のために準備された星の教団の解散宣言をだすのだが、クリシュナムルティはまだ20代の若さであった。
クリシュナムルティは1929年8月2日にアニー・ベサントが来るべき世界教師のために用意した星の教団の解散を宣言をした。以下その全文
クリシュナムルティとアニーベサント
星の教団解散宣言
クリシュナムルティ
今日、これから私たちは、<星の教団>の解散について話しあいたいと思う。 喜ぶ人々も多いだろうし、悲しむ人々もまたいることだろう。 しかし、これは喜ぶとか悲しむとかいった問題ではない。なぜなら、これは避け がたいことだからである。その理由について私はこれから説明しようと思う。
私は言明する。<真理>はそこへ通ずるいかなる道も持たない領域であると、 いかなる道をたどろうとも,いかなる宗教,いかなる教派によろうとも、諸君はその領域へ近づくことはできない。これが私の見解であり、私はこの見解を絶対かつ無条件に確信している。<真理>は限りないものであり、 無制約的なものであり、いかなる道によっても近づきえないものなのであって、したがってそれは組織化されえないものなのである。それゆえ,ある特定の道を たどるように人々を指導し,あるいは強制するようないかなる組織も形成されるべきではないのである。
諸君がまず最初にこのことを理解されるならば、 あるひとつの信念を組織化することがいかに不可能なことであるか、おわかりに なることでしょう。信念は純粋に個人的な事柄であり,それゆえ組織化したりする ことはできないし、またすべきでもないのである。ひとたび組織化したならば、信念は血の通わない,凝り固まったものとなってしまうであろう。
それは、他人におしつける教義に、教派に、宗教になってしまうのだ。ところがこれこそが今、世界中であらゆる人々がなさんと企てていることに他なら ない。<真理>は狭隘かされ、弱い人々,たまさかに不満をくゆらせる人々の慰み ものとなってしまうのだ。<真理>は諸君のところまで引きづりおろせるものでは ない。そうではなくて,各人ひとりひとりがそこまでたどりつくよう精進しなければならないものなのだ。諸君は,山頂を谷へ運び移すことはできない・・・・・・
以上が、私の見解よりした<星の教団>を解散すべきまず第一の理由である。
このように申し上げても、諸君はおそらく、別の<教団>をつくりあげられること であろうし、<真理>を求めて別の組織に所属しつづけることであろう。
しかし私としては、心霊的な類のいかなる組織にも属したいとは思わない。 どうかこのことを理解していただきたい・・・・・
星の教団解散宣言 No.2
真理探究の目的で組織を創立するならば,組織は松葉杖となり、弱点となり、束縛となって、人をかたわにし、かの絶対かつ無制約的な<真理>を自分自身で 発見するために必要な、その人の独自性の成長と確立を阻害するものとなって しまうに相違ない。これが、たまたま教団を率いる者となった私が、教団を解散し ようと決意したもうひとつの理由である。 これは何ら大それた行為ではない。私は信奉者を欲しないからだ。
私の言いたいのは、諸君が誰か特定の個人の後を追うやいなや、<真理>の後を追うのをやめてしまう、ということである。私は、諸君が私の言うところに注意を払われるか払われないか、そのことに興味がない。私はこの世で、あるひとつのことをなしたいと思う。わたしはそのことにたゆむことなく専念するつもりである。私はある根本的なひとつのことにのみ関心を持っている。
<人間を自由たらしめること>、すなわちこれである 人間をあらゆる獄舎から、あらゆる恐怖から解き放つこと、これが私の願いである。
私はいかなる宗教も、新しい教団も作りたくないし、いかなる新しい理論も、 新しい哲学も確立したくはない。諸君は当然こう問うことであろう、ではなぜ あなたは、絶えず話し続けながら世界をめぐるのか、と。私がそうするわけを 諸君にお話しすることにしよう。あらたな弟子がほしいからでも、特別の使徒達 からなる特別のグループが欲しいからでもない(人間はなんとその仲間達と 違っていたいと願うことであろうか!その相違がどんなに滑稽で、馬鹿げていて、 子細なものであろうとも。わたしはそうした愚劣さを増長させたいとは思わない)
私は、ちじょうにおいてであれ、霊性の領域においてであれ、如何なる弟子も使徒 も持ったりはしない。
金銭の誘惑も、安楽な生活への欲求も、私を引きつけない。 快適な生活を送りたければ、私は何もこのキャンプのような所へ来たりはしないし、 じめじめした土地で暮らしたりはしない!私は歯に衣を着せずに申し上げて折るの だが、そのわけは、今回限りで、こういったことにはっきりと決着を付けてしまい たいからに他ならない。こういった子供じみた議論を何年も何年も続けたくはない のだ。 私にインタビューしたある新聞記者は、何千人ものメンバーがいる組織を解散する とは誠に大それた行為だと考えた。彼にはそれは途方もない行為に思われた。
彼はこう言ったのである。「今後、どうなさるおつもりですか。どのように生きて いくのですか。従う者はいないでしょうし、人々はもはやあなたの言うことに耳を 傾けないでしょう」真実耳傾ける人が,真実生きようとする人が、真実その顔を <永遠>に向ける人が五人いさえすれば、それでもう十分である。理解しない人々 、偏見にどっぷりつかっている人々、新しいものを欲せず、新しいものをむしろ 自分の不毛でよどんだ自我に合わせて勝手に解釈しようとする人々、こういった人々が幾千いたところで一体何になるであろうか・・・
星の教団解散宣言 No.3
私は自由であり、何ら制約されておらず、全体であり、部分的でも相対的なものでもない、一個の全体としての、永遠の<真理>であるがゆえに、私は私を理解 しようとする人々もまた、自由であることを願うのである。私に従おうとしたり、 私を使って、獄舎に等しい宗教や教団を作り出そうとするような人々を私は望ま ないのだ。人々はむしろ、すべての恐怖から,自由であるべきなのせある。
宗教の恐怖から、救済の恐怖から、霊性の恐怖から、愛の恐怖から、死の恐怖 から、そして生そのものの恐怖から。芸術家が、画を描くこと自体が楽しいが故に、それが彼の自己表現であり、栄光であり、幸福であるが故に画を描くように、 そのように私も行うのであって、何らかの見返りを求めて行うのではない。
諸君は、諸君を霊性へ導いてくれると諸君が考える権威や、その権威に慣れ親しん でしまっている。諸君は他の誰かが、その驚嘆すべき力ー奇跡ーによって、 <幸福の国>である永遠の自由の領域へ諸君を連れていってくれるものと考え、 またそう望んでいる。諸君の人生に対する見方全体が、そのような権威に基づいて 行われているのだ。
君は今日まで三年にわたり私の説くところを聞いてこられた。 しかいごく少数の者を除いては、いかなる変化もおこりはしなかった。 いまや私の言っていることを検討され、批判され、かくして徹底的に、根本的に 理解されんことを・・・・・・
十八年にわたり、諸君はこのことのために、<世界教師>のために準備万端を 整えてこられた。十八年にわたり、諸君は組織作りを行い、諸君の心情と精神に 新たな喚起をもたらすであろう誰かを、諸君に新たな理解をもたらすであろう誰かを、待ち望んできた。諸君は,諸君を生の新たな地平に引き上げてくれるで あろう誰かを、諸君に新たな勇気を与えてくれるであろう誰かを、諸君を解放してくれるであろう誰かを、待ち望んできたのである。
そして今、何が起こっているかごらんになるがよい!
考えられよ、諸君自身で判断され、そして発見されよ。
かかる信念によって諸君はいかなる変貌を遂げられたかを。
バッジをつけるようになったとかいう表面的な変化ではない。それは瑣末(さまつ)で馬鹿げたことである。
判定する唯一のやり方はこうである。かくのごとき信念が、人生の非本質的 な物事すべてを、はたしてどのようにして一掃してしまっただろうか。
虚偽と非本質的なものとにその基盤を置いているすべての社会から、諸君はどれ だけ自由であり、どれほどはみ出し、そしてそのような社会に対して、どの程度 危険なものになっているだろうか。<星の教団>のメンバーはどんな点でどのよう に違ったものとなったであろうか・・・・・・
星の教団解散宣言 No.4
諸君はすべて、諸君の霊性を誰か他の者に求めている。 諸君の幸福を誰か他の者に求めている。 諸君の啓発を誰か他の者に求めているのだ・・・・・
私が諸君に、諸君自らの内部 に、啓発を、栄光を、浄化を、自己の不滅性を求められよと話しても、諸君の内誰一人として進んで耳を貸そうとはしないのだ。わずかならいるかもし れない。しかしそれもごくごく少数にしかすぎない。それなのになぜ組織などを 持つ必要があろう・・・・・
いかなる人間も、外側から諸君を自由にすることは出来ない。組織化された崇拝も、大儀への献身も諸君を自由にはしない。組織を作り上げてみても、仕事に没頭してみても諸君は自由にはなれないのだ。諸君は文字を打つためにタイプライターを使用する。しかし諸君はそれを祭壇に祭りあげ、崇拝したりはしないであろう。
しかし組織が諸君の主要関心事となるや、諸君はこれと全く同じことを行うのだ。 「メンバーの数はどれくらいですか」,これがすべての新聞記者が私に聞く最初の質問である。「信者は何人ですか。その数によって、あなたの説くところが真実か虚偽か判断しましょう」。何人いるかなどわたしは知りはしないし,私にとってそんなことはどうでもよいのだ。自由になった人間が一人でもいさえすれば、それだ けでもう十分である・・・・・・
繰り返して言う。諸君はこう考えておられる。ある特定の人々のみが<幸福の王国> への鍵を持っていると。誰もそんなものは持ってはいない。誰一人としてそんな鍵 を持つ資格などありはしないのだ。鍵は諸君自身の自己なのだ。その自己の開発と 浄化の中に、その自己の不滅性の中に,その中にのみ<永遠の王国>は存在するの である・・・・
あなたはこのぐらい進歩した、霊的位階はこんなところです、こう言われることに諸君は慣れ親しんでこられた。なんと子供っぽいことであろう!!
諸君が不滅であるかどうか、諸君以外の誰が諸君に語れよう・・・・・・・・
理解しようと本当に欲する人々、始めもなく終わりもない永遠なる<かのもの> を見いだそうとしている人々は,さらに大いなる熱情を持って進むだろう。そして彼らは、非本質的なすべてのものにとって、真実でないものにとって、影法師にすぎないものにとって、危険なものとなるであろう。かれらは全精力を集中し、炎となるであろう。なぜなら彼らは理解するからである。このような人々の連帯をこそ われわれは創りださなければならない。これが私の目的である。
そうした真の友愛ーこれについて諸君はご存じないように思われるがーこの友愛によって、各人の立場に立った真の協力が成り立つことであろう。
これは権威によるものでも,救済によるものでもなく、諸君が本当に理解することによるのであり、かくて諸君は、永遠の中に生きることが可能となるのである。
これはどのような快楽よりも,いかなる犠牲よりも偉大なものなのである。以上が、二年間にわたる熟慮検討ののちに、私がこの決定を下すに至ったいくつ かの理由である。この決定は一時の衝動によるものではないし、誰かに説得された わけでもないーこういったことで私は説得などされはしない。二年間、私はこの事 を考え続けてきた。ゆっくりと、注意深く、忍耐強く。そして今、私は<教団>を 解散することにきめたのである、私がたまたまその長となっているがゆえに。
諸君は他の組織を作ることもできるし、誰か他の者を期待することも出来よう。 しかし私はそのことに興味はないし、新しい獄舎を作ることにも,その獄舎の新しい様々な装飾品を作ることにも興味はない。私の関心はただひとつ、それは人々を、 完全に、かつ無条件に自由たらしめることなのである。
「クリシュナムルティの瞑想録」平河出版社
「クリシュナムルティ人と教え」クリシュナムルティ・センター
Vol.12 シュタイナー Rudolf Steiner (1861-1925)
1902年に神智学協会の会員になったシュタイナーはドイツ神智学協会の事務局長に就任した。アニー ・ベサントとの関係は良好だったが1911年にクリシュナムルティが来るべき世界教師として、発表されると、シュタイナーは反旗を翻した。ベサントがシュタイナーをパブテスマのヨハネの生まれ変わりとして宣言すると言う一種の取引があったとき、シュタイナーとの決裂は決定的になった。
「弥勒菩薩の人生はイエスの人生とよく似ている。イエスの自我は三十歳の時に肉体から去り、かわりにキリストの自我が入ってきた。弥勒菩薩も、だれかが三十歳か三十一歳になったころ、その人物の身体のなかに下る。「そのような人物は少年時代に、彼が三十歳ごろに菩薩になるであろうという前兆を現わすことはない」(1911年9月21日シュタイナー「釈迦・観音・弥勒とは誰か」水声社)
当時クリシュナムルティは14歳シュタイナーは48歳だった。クリシュナムルティは30歳前だったのでシュタイナーはクルシュナムルティをマイトレーヤー(弥勒菩薩)と認めなかった。
シュタイナーはしばしば弥勒菩薩について講義しており、弥勒菩薩によって多くの人々はキリスト意識に目覚めるといっている。
世界には菩薩が12人いて地球の進化をサポートしている。その12人の菩薩たちを指導する存在がインドでは「ヴィシュヴァ・カルマン(毘首羯麿)」、ペルシアでは「アフラ・マズダ」エジプトでは「オシリス」、西洋では「キリスト」という。
菩薩の中心には「キリスト」がいて、そこからでてくる叡智を菩薩たちは人々に伝えるのだという。
釈迦は慈悲と愛の教えを伝える任務を果たした菩薩の一人であり釈迦仏滅5000年後に弥勒菩薩が弥勒仏になるのだという。人類の大部分の心が愛に満ちた時に弥勒菩薩は弥勒仏になるので、それまで弥勒菩薩は世紀ごとに地上に受肉すると言う。それは今から三千年後の弥勒仏になるまで続くとシュタナーは語った。
シュタイナーは「シャンバラのロードマイトレーヤーは反キリストである。星の教団に入る者は、私達の方の神智学協会の会員であり続けることは出来ない」と講演し、ドイツ神智学協会の支部は分裂した。14のドイツ支部はベサントに従い、残りのドイツ支部はすべてシュタイナーとともに行動をともにして神智学協会とは別な組織「アントロポゾフィー人智学協会」を1913年に設立した。
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