実存的危機と変容

「魂の暗夜」

 ユングによると何らかの理由で否定されたり抑圧されたりしたエネルギーは必ず表面化してくるという。なにか心に悩みがあり深刻な問題が起きた状況というのは大抵、自分を大きく変えなくてはいけない事態になっている。自分はこういう人間だという今までの自己イメージが崩壊しかけているのである。

 自我は変化を嫌ってあらゆる手段を使って回避しようとする。しかし、避けても最終的には自分自身と直面せざるえをえない。内部で変化が起きはじめている時に蓋をした場合、抑圧する力が強いほど対抗する力も強まってしまうものである。むしろ強く抑圧しているうちにある日突然、激しい行動表現が起きて、その人の人生が台無しになってしまう事がある。

 そのように変容が起こった時、退行して幼児化する場合と自己超越をして意識の成長・進化をする場合がある。変容が突発的に起きた場合は何が起きているか理解できないので幼児的な自我の水準まで下降して病的退行をしてしまう。変容が自覚的に行なわれた場合は上昇して自我の枠組みが広がり意識の進化・成長が起きるのである。

 ユングはフロイトとの関係性が破綻した時に深刻な自我の危機を経験した。世界が崩壊してゆく没落の体験と妄想が六年間続いたのである。幸いなことにユングは危機を克服して変容し再び地上に生還した。

 希望を失い、信じてきた自己の存在や価値が認められないと自我は幻滅して引き籠り始める。生きる意味や目標を見失うと現実感が喪失する。世界は意味が無く空虚に思え、「絶望」に陥る。今までに成り立っていた自我が成り立たなくなり自我の境界がゆらいでいる状態である。つまり実存的危機が起こっているのである。

 ウォッシュバーンによると実存的変容にはいくつかの段階があり、それはJ・キャンベルが明らかにした神話の基本構造と対応する。

第一段階「世界からの分離・引き蘢り」セパレーション

世界からの分離が始まり、現実感が失われる。自我はなんとか抵抗を試みて偽りの価値にしがみつこうとするが、本能的存在は容赦なく自我を崖っぷちに追い込む。自我はついに最後の抵抗をあきらめ、崖から飛び降りる。自我の境界を保つことを止めるので今までの自己イメージはついに崩壊する。

第二段階「本能的無意識との出会い」イニシエーション

自我の境界が崩れたことにより。無意識のイメージが表層意識にどっと流れ込んで来る。それまでなんとか虚勢をはって維持して来た自我の基盤が崩壊したことにより、その内的危機が投影されて世界が崩壊するように思えるのだ。自分の存在が愚かに感じ、世界は不気味で無意味に思え、悪魔や悪霊に拷問されたり、監獄に閉じ込められた感覚がする。苦痛に満ちた罪悪感や劣等感、耐えがたい恐怖や不安、孤独、虚無感に襲われることもある。

第三段階 「心の統合と世界への帰還」リターン

第一段階と第二段階の危機を克服できれば、新しい自我が再生される。自我がそれまで抑圧してきた「影」としっかり直面して受容すれば分離していた影との境界で起きていた激しい葛藤は解消される。自我は影と統合して再生と救済の感覚が沸き起こる。古い自我は死に新しい自我が再生される。自由で活発な生命力を取り戻した自我は深い暗闇を通過してようやく世界に帰還するのである。

 精神的混乱が長く続くと自我は病的退行と呼ばれる幼児的な段階に逆戻りする。現実と非現実の境界がゆらぎ方向喪失感がおとずれる。一体何が起きているのか理性で把握できない為に強い不安と恐怖にさらされるのである。自分自身の暗黒面を見つめることを拒絶しているために自分の状態を把握できず混乱したまま自我は退行して幼児化してしまうのである。

 無意識から湧き上がる衝動や感情と向き合い、その葛藤の根源を洞察して意識化すると混乱した心は安定してゆく。抑圧された影が衝動となって無意識から表れている事が自覚されると影が統合されるのだ。病的症状から目をそらさずにしっかり直面すると起きている事の真の意味が体験的に理解されるのである。

 精神的混乱の中で怯えきった人が恐怖や不安の感情と向き合い、苦痛に耐えることはきわめて困難である。誰か混乱した人を支え、援助する人が必要になってくる。共感を持って起きている事を受け入れてくれる人が側にいると混乱した人はやがて自分自身と向き合い理解を深め道を見つけだして行く。

 人には本来、全体に戻ろうとしてバランスを回復させる内なる治癒力がある。ところが現代社会では錯乱すると回りが驚いて病院に入院させられ投薬を受ける。西洋医学の薬で症状をおさえるだけの治療では症状はなかなか回復しないようだ。

 精神科医のペリー博士によると自我を超える体験が突発的に起きた場合は一種の錯乱状態に陥るのは普遍的な現象であるという。しかし一定期間その錯乱状態を受け入れてくれる人がいれば、必ずおさまってきて、より幅の広い自己がでてくるという。

 部族社会では危機が訪れるとシャーマンが変成意識状態の中で啓示を受け部族を導き、部族を危機から救おうとする。

 シャーマンのイニシエーションには「シャーマンの病」と呼ばれる精神的な危機がある事が知られている。その構造は神話の構造と共通している。

1、セパレーション(分離・旅立ち) 地下世界 天上界 異界への長く苦しい旅立ち

2、イニシエーション (通過儀礼) 異界で神々、悪霊、祖先霊、動物の霊と遭遇する。

精霊に出会ったシャーマンは苦痛の中で象徴的にバラバラに引き裂かれる。死と再生のプロセスを通過して シャーマンは深い人格変容をとげる。

3、リターン(帰還)

シャーマンは宇宙の智慧と癒しの力を得て共同体の一員として再統合する。

 現代の、拝み屋、新興宗教の教祖などの霊媒体質のシャーマンに共通するのは人生の中で突然、極端な不幸、災難、困難に出会い、発狂寸前まで追い込まれることだ。病気や苦悩の頂点でカミサマと出会うのである。 危機状態を通過したのち霊能力を活かし、相談事を請け負う拝み屋になるのである。ただし祈祷師、拝み屋、今風にいえばスピリチュアル・カウンセラーにもピンキリがあり、無意識が浄化されていないと物質的な現世利益に走り精神を病んだり、体調を崩したりする者がいる。

 シャーマンの危機は現代医学では重度の精神病と診断されている。しかし部族社会のイニシエーションを体験した一部の文化人類学者、研究者はそれに異議を唱えている。マイケルハーナーはそのような西洋文化のモードを優先した態度を自文化中心主義と呼んでいる。

 精神的な危機に陥った住民を経験豊富なシャーマンは歌や踊り、祈りによって適切な処置を施し共同体の中に着地させる。精神的な危機を理解できる指導者がいない文化では精神病の患者は共同体から隔離され誰からも相手にされない。薬づけにされ、病室に閉じ込められる。シャーマンがいない共同体では危機状態に陥った者の精神の苦しみはより増すばかりである。

 神話に表れる英雄、シャーマン、神秘家の体験、精神分裂病患者(統合失調症)の旅には共通の構造がが見られる。

 自我の境界を超えると様々な無意識のイメージやヴィジョンの洪水に襲われる。同じ無意識の海に飛び込んでも神秘家やシャーマンは泳ぎ、精神分裂病患者は溺れてしまうのである。

 20世紀の初頭イヌイットのシャーマンはデンマークの探検家に偉大な精霊シラについて話した。「宇宙の霊であるシラは、目には見えない。声が聞こえるだけだ。わたしらが知っているのは、シラが女のようにやさしい声をしているということだ。とても上品でやさしい声なので、子どもでさえこわがらない。そしてシラはこう言う。『宇宙を恐れるな。』」 と

 シャーマニズムの研究によるとシャーマンになるには二つのパターンがある。召命型と探求型である。沖縄と奄美には「カンカカリャ(神懸かり)」「ムンスイ(物知り)」「カンヌプトゥ(神の人)」と地域によって呼び名がことなるユタが存在する。ユタはほとんどが女性であるがカミグルイ、カンブレ、カミダーリィと呼ばれるイニシエーションを経験する。

 ある日、結婚生活を送っていた主婦の心身に異常が起きる。夢や日常の中に神々が表れたりして精神状態が不安定になり、様々な体の不調を訴えるのである。そのうちに神の歌を歌い一日中踊り続けたりするようになる。当然、「モノグルイだ」「神グルイだ。」と近所で噂になる。シャーマニズムの伝統が生きづいている地域ではこれが「聖なる病」であることが理解され家族は精神病院ではなくユタを訪れる。やはり、カミダーリィとわかり一人前のユタを目指す。ただしカミダーリィが起きた人が全員ユタになる訳ではないようだ。「精霊から何代か前の先祖の葬られた場所を探し当てて供養しなければいけない。」といわれ何年も探し歩いて彷徨しているユタもいる。精霊にもやり残した仕事があるのだろう。

又、精霊と交流するうちに自分は特別な存在としてエゴがますます強化することもある。無意識の抑圧に無自覚な人が妄想の中で神社巡りをつづけることもあるのである。無意識に抑圧や緊張がある者が霊的な能力を得るとその能力故に自滅するケースもある。核爆弾や原発による放射能汚染、テクノロジーの進歩による温暖化の危機などはまさしく今の人類に当てはまる。神の目から見れば核は放射線療法、温暖化は温熱療法かもしれない。

 突発的に神懸かりになる召命型のユタには人生でさまざまな災難が降りかかり、病気、貧乏、友人、家族、兄弟の死、夫の浮気、離婚などの苦悩と極端な不幸な経験をつむものが多い。絶望しても死ねないことは普通の人では耐えきれない人生である。しかし3次元の世界では不幸だがのちに神様の世界から見れば素晴らしい経験だという事を知るのである。そして超自然的な出来事の中で思考が落ち、神に選ばれた自分の運命を受け入れ自覚した人がユタになるのである。生まれながらのユタとして人々は「ウマレユタ」と呼び神と直接交流出来る人として特別視する。ユタには人々をカミンチュ(神の人)に導くことを使命と自覚している人もいる。

 カミダーリィを経ないでユタのもとに通っているうちに、ユタのシステムをおぼえていつのまにかユタ稼業を始める者を「ナライユタ」と呼ぶ。探求、修行型は東北のイタコに相当する。

 カミダーリィをシャーマンの病とも呼ぶが召命型のイニシエーションは世界中の先住民の文化に共通してみられる。変成意識状態の中でシャーマンの今までの肉体は完全に解体される。頭は切り離され手足と骨盤、関節はバラバラに分解される。心臓や内蔵が生きたままとりだされる。筋肉が奇麗にそぎ落とされ目がくり抜かれたりする。体液が抜き取られ、そして釜で煮込まれたりする。シャーマンはその間ほとんど息をせず臥せっているのである。最後に骨が拾い集められ、肉がかぶせられる。解体と再生は3日から7日続きイニシエーションは終了する。これらはLSDやメスカリン、アヤワスカなどの向精神物質の摂取でも同様な報告がある。

シャーマンの病とはまさしく跳ぶ前に屈むことなのである。

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引用・参考文献 

「自我と力動的基盤」ウォッシュバーン 雲母書房
「トランスパーソナル・セラピー入門」吉福 伸逸 平河出版社
「千の顔をもつ英雄」 Jキャンベル 人文書院
「シャーマニズム」佐々木宏幹 中公新書Jキャンベル 人文書院


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