傷ついたヒーラー
wounded healer


                 2008年01月08日
インスタントヒーラー

 先日、インスタントラーメンを食べていたレイキヒーラーが、病気になって廃業した話を聞いた。誰もがヒーラーになれる可能性はあるとは思うが、1日か2日のセミナーでヒーラーというのは無理があると思う。インスタントラーメンやレイキや病気が悪いのではなく、つまりライフスタイルやこころの準備が整わないインスタントなヒーラーを誕生させることが問題なのだ。泳げない水泳の先生では当然、水に入れば溺れてしまうだろう。沢山のヒーリングの団体があるが、自分のヒーリングが最高だと思うのは自我の特徴なのでしょうがないが、お金を払ってただセミナーを受けただけでヒーラーでは、あまりにも、お手軽だ。実体よりも肥大して自分がヒーラーだと錯覚してしまうと、本人も大変だがヒーリング、ヒーラー自体が世間からうさん臭く思われしまうだろう。

グレートマザー

 ユング心理学にグレートマザー(太母)という無意識の深層に潜むアーキータイプ(元型)の概念が在る。グレートマザーは子を養い慈しむ肯定的な母と、すべてを飲み込み破壊する否定的な母との両極を持っている。肯定的な母のイメージは、聖母マリアや観音菩薩であり、否定的な母は生け贄を求める残酷で恐ろしい女神だ。

カーリー

 代表はインドの女神カーリーだろう。カーリーの目は血走り、口からは長い舌を垂らし、髑髏をつないだ首飾りをつけ、切り取った手足で腰を被い、夫のシヴァを踏みつけた恐ろしい姿をしている。昔、玄関にカーリーの絵を張っていたら物売りや宗教の勧誘員がピンポンを鳴らさずに帰った事があった。きっとあまりの凄さにカーリーの前では、悪霊も逃げ出すに違いない。こんな恐ろしい姿をしたカーリーだが、天然痘の病の女神と同時に癒す女神でもある。

死と生の神

 夏が終わると植物は枯れて朽ち果て、そして春には再び新芽がふき植物はよみがえる。古代の人々は死と再生を繰り返し、豊かな実りをもたらす大地に母なるものをイメージした。土からかえりまた土に帰るグレートマザー(太母)は生の神でもあり死の神でもある。 すべてを生み出すことはすべてを呑みつくす事も意味している。それは行き過ぎれば抱きしめてはなさなず、子を飲み込む母となる。つまり子どもにとっては干渉しすぎる悪い母である。

 殺害されて身体をバラバラにされた神が土に埋められる穀物神話のように、生と死の植物の周期を象徴する神話が世界中にある。神になぞられた生け贄を殺害し切断してその肉を食べる儀式が1835年までインドで実際にあったと言う報告がある。 コルカタのカーリー寺院での祭りでは800頭くらいの山羊や豚が殺され寺院はと殺場と化す。そして頭だけを供え物として残す。アステカでは2〜5万人が毎年。生け贄にされたという。あのカーリーの生首は生け贄なのである。

ユング心理学の考え方

 ユング心理学の考え方では母と子、老人と少年、生と死は元々一つのものでありこころの深層では未分化なのだ。男性でも無意識の部分には女性があり、女性であっても男性の元型が表されると、男性のように振るまい父親の様な行動をとる事ができるのである。


元型では癒す者と癒される者は分かたれてはいない。ヒーラー自身に傷を負った過去があり治癒行為そのものがヒーラーの治癒となる。病に苦しみ、傷を負ったとき元型は全体性を回復させる為に集合無意識を活性化させる。ヒーラーの内側には傷ついたヒーラー (wounded healer)がいるのである。

 医者と患者,セラピストとクライアント、ヒーラーとヒーリー、治癒する者と癒される者とに分けてしまうと内部で分裂する。抑圧された影は外に投影して行動表現してしまう。治癒する者と癒される者、両者に投影は起りうる。フロイトは患者が両親に対するような感情を医者に対して持つことを転移よび、治療において治療者が患者に対して転移を起こして、患者に恋愛感情などを抱いてしまうことを逆転移といった。

分裂した元型

 分裂した元型の中では流動的な力が生まれ上下関係が出来上がる。ヒーラーは癒されるクライアントを傲慢にも力で押え込もうとするのだ。抑圧された影は全能感を得ようとして暴力、虐待、支配、操作、無理強いを繰り返す。そのエネルギーが内部から何度も湧き起きおこるのである。攻撃的な口調で説教をたれ、やり込めようと力を誇示する姿勢は分断された影の投影なのである。影の投影が起きないようにするには、ヒーラーは自らの傷や痛みに開いている必要が在る。自分自身の闇を受け止め、自我の境界を超え魂の世界へ参入するのである。


癒しの現場

 癒しの現場では、自己観察の能力が要求される。それには長期に渡る自覚を養う訓練が必要だ。もしヒーラーに自己観察の能力が欠けていると、現場で起る事に飲み込まれてしまうだろう。巻き込まれてしまうとクライアントも傷を深め、下手を打つとヒーラーも傷を負うことになる。もし鍛えられた観察的自我を持つ事が出来れば、内側から湧き上がって来る衝動に反応せずにすむ。癒す者と癒される者との間にはシンクロニシティが起るので、ヒーラーに自己治癒が起ればクライアントにも自己治癒が起きるのである。

 インスタントなヒーラーは、自分の影の衝動に無自覚だ。自分の力で相手を直せると錯覚している医者、セラピスト、ボディワーカー、ヒーラーは多いだろう。

古代ギリシャの神託所

 古代ギリシャの神託所には医者や治療者はいなかった。沐浴をして身を清め、洞窟や神殿にこもって、ひたすら祈り、神託を待ったのである。アクスピレーオスの神殿では、夢見ることが癒しだった。人間が直すのではなくそれは神の業であった。

集合無意識の活性化

 ヒーラーが自分自身にも痛みや傷があることを自覚し、自分自身の痛みを引き受けたとき、相手の自己治癒が起るのである。痛みを自覚したとき元型は、全体性を回復させる為に、集合無意識を活性化させる。同時にクライアントやヒーラーの集合無意識も活性化され自己治癒が起きるのである。

 手当法では、相手を直そうと考えるのではなく、無心で相手に手を当て、自分自身の滞っている気の流れを見守って行く、そして自分の気の流れが修まったとき手当も終わるのである。

シャーマン文化の治癒

 シャーマンはイニシエーションやヴィジョンクエストを通じて、日常のリアリティに惑わされない心を持つようになる。シャーマンにとって人生の意味を失い、共同体の繋がりの感覚を失う魂の喪出は、最も深刻な病だ。伝統的なシャーマン文化での治癒の最終地点は、身体の症状の回復ではなく、魂を取り戻す事、共同体、地球との全体性を回復することにある。シャーマンにとっての治癒とは、我々が考えているような肉体が健康に戻る事だけではないのである。

「白人の治療じゃあ、元の自分に戻るだけだろう。インディアンの治療だと前よりよくなるのさ。」あるメディスンマンの言葉

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