VALS類型論
成熟した社会への道
マズローの階層欲求論
1950年代に人間性心理学を創立したマズローの有名な欲求の階層論がある。
・ 生理的欲求
呼吸・水・食物・睡眠など生きるのに最低必要な欲求、
・ 安全欲求
依存・保護・安全への欲求
・ 帰属欲求
家族、企業、組織、宗教団体などに所属を求める。
自分が愛され認められたい欲求
・自己評価欲求
他人、社会に評価されることへの欲求
・ 自己実現
自分がなりたいのもへの欲求
・自己超越
自分自身を超えたいという欲求
マズローの階層欲求論は商品を購買する消費者の行動予測としてよくビジネスモデルとしても使われているが人間の精神的成長を理論化したものである。
マズローのモデルによると下の欲求がある程度、満たされるに従い、上の欲求に向うとされている。ところが下位の欲求が満たされないままだと代理欲求が発生して基本的欲求が満たされるまで、いつまでもその代理欲求が出続けるという特徴がある。これは本当の欲求が満たされないかぎり、代理欲求を満たす行動をいくらとっても本当の満足が得られないことを意味する。たとえば食べても食べても満足しない人とか。数えきれないほど趣味の物を集めても満足しない人とか。基本的欲求が満たされないと自分に自信が持てなかったり、人に認められることにこだわったり、愛することより愛されることを求めたり、その後の人生での問題が生じるとされる。 つまり精神的に成長せずに幼児性を引きずってしまうのである。
この世は体は大きいが中身は幼児のような人ばかりでほとんど大人を見かけないという話がある。ではどんな人が大人かといえば仏陀のような覚醒した人をさすのではないだろうか。
VALS類型論
ところで古典的なマズローの欲求の階層論に当てはまらない人たちが60年代の後半から70年代にかけてアメリカで増えて来た。いわゆるベトナム反戦、ヒッピー、ドラッグ、長髪のニューエイジ世代である。80年代にアメリカで膨大な費用をかけて大規模な消費者調査を行った。その結果新しいライフスタイル分析の手法として、スタンフォード研究所のアーノルド・ミッチェルによってVALS類型論が著わされた。それによると最初の3段階の生存型、維持型、所属型はマズローの生理的欲求、安全欲求、 帰属欲求にほぼ対応している。が、VALS類型論ではその後の展開は外部指向型と 内部指向型の二重構造になっている。
外部指向型
外部指向型には「競争型」と「達成者型」がある。
「競争型」の目標は「金持ちになる。」「一流の運動選手になる。」「肉体の快楽の追求」など、いい自動車を持ち、宝石、一流ブランドの衣服を身につけ目立つことを好む。
他人と競争して昇進と成功、冨と名声を求める。しかしそのため葛藤、欲求不満、ストレスにさらされる。
「達成者型」は競争に勝った数少ない人々、いわゆる成功した人々、自信があり望みは今の生活を継続すること。この状態を超越してゆくと統合型にゆく。
内部指向型
内部指向型には「わたしはわたし型」と「体験型」と「社会意識型」がある。
60年代から伝統的な家族の崩壊が進みアメリカの社会が大きく変化していった。マズローのモデルでよくあるパターンは長年、一生懸命働いて社会的に成功した会社の管理職のような人が晩年、宗教的になり真理を好み、自己実現にたどり着くこと。そんなマズローの欲求の階層をとばして突然20代の若者が自己実現の道を歩み始めたのである。60年代のネパールでは髪をのばし社会からドロップアウトして内側からチベット密教に入り込む若者がいた。その当時ネパールに滞在して「チベットの死者の書」を訳した川崎博士は学者よりもチベット密教に通じた薄汚いよれよれの若者を見て、「ヒッピー恐るべし」と言った。かれらは社会の価値に左右されず、自らの道を歩もうとした。
わたしはわたし型
社会の常識よりも自分の価値観を優先させる。激しいロックやけばけばしい服装を好んだりする。外部指向の両親に反発する。仕事をすぐ止めてしまう。どこかに帰属することをいやがる。若く自己中心的、フリーターに多い。他人との違いをもとめ飽きっぽい。オカルト、占いに関心を持つ者もいる。「わたしはわたし型」は経済的に短期間しか続かないので20代に多い。
体験型
「わたしはわたし型」が成熟すれば自分の内面に向って自分自身を体験する方向へ向う。家族生活を大切にしたジョンレノンのようにパンを焼いたり料理を作る事に喜びをおぼえたりする。有機農業の体験、サーフィン、山登り、サイクリング、や瞑想やセミナーやワークショップなど体験的な方向に走る。ありとあらゆる精神世界を体験したあげく結婚して今はマクロビオテッィクを調理する事に大変な快感をおぼえて喜んで主夫業にいそしんでいる友達も居る。
社会意識型
私の知人は若いころは髪を長くしてインドで瞑想修行、アメリカでのコミューン生活、心理学の翻訳、農業、ディープ・エコロジー、反原発運動をへて現在は環境団体のメンバーとなって活躍している。「わたしはわたし型」から「体験型」を経たVALS類型論のちょうど良いモデルだ。
自分自身を体験して来くると、隠遁しても社会と無関係に生きていく事はできないことに気づく。そんな人は自己感覚が自己を超えて社会まで拡大しているので責任感が強くなり社会活動に積極的になる。環境に関心を持ち治癒に繋がる仕事を好み、自己を信頼し簡素な人生を生きようとする。ここで注意が必要なのは社会活動や市民運動のひとの中にはイデオロギーだけの人もいる。体験型を経ていない頭だけなので内面に心理的な防衛や抑圧がある。内側に強い緊張がありリラックスしていないのだ。このような人は「社会意識型」ではない。
最後は内部指向型と外部指向型のどちらの道も成熟した「統合型」に出会う。
統合型へ
VALS類型論はアメリカ人の意識調査だが日本人の参考にもなる。「金持ちになる。」「世界一の会社になる。」と外見を強調するライフスタイルの特徴をみかけることがある。
成功する為にはルールを無視する。他人を蹴落としても自分がのし上がる。非現実的な目標を持ち、強烈な野心と強い競争心がある。自分は異なる世界から来ていると感じている。他人に対して非常に疑い深く、操作的。現状に腹を立てていて、体制側から自分が公平に扱われていないと感じている。内側に怒りの衝動が隠されている。これらはVALS類型論の外部指向型の典型的な競争型の段階にある。
しかし、競争型で勝つ人はごく少数だ。競争に負けた人は自信消失して所属型に戻るパターンが多い。あるいは家庭生活を大事にしたり、ミニカルトや宗教団体に帰属するケースもある。
病気や失敗など人生の問題を機会にスピリチュアルな洞察が訪れた人の話はしばしば耳にする。生命は環境に適応しながら自己増殖をしてゆく。増殖の限界が起きる臨界値つまり破局に直面すると生命はゆらぎを創り出し、自己を超越して、より新しい秩序に向って進化させてゆく。
ゆらぎが起きているときは自己超越が起きる最大のチャンスだ。資源を食いつぶす現代の競争社会はいずれ消え去る運命にある。立ち行かなくなるからだ。地球環境の問題をかかえた人類もこのまま欲求に振り回されて破局をむかえて自滅するか、外部指向型と内部指向型が有機的に結合して統合型の社会にジャンプするか。その臨界値がせまっている。
2006年01月25日
参考文献
「マズローの心理学」フランク・コーブル 産能大出版部
「人間性の心理学」マズロー 産能大出版部
「パラダイムシフト」TBSブリタニカ
「トランスパーソナルセラピー入門」平河出版社
「アメリカ現代思想」1 阿含宗総本山出版局
「アメリカ現代思想」2 阿含宗総本山出版局
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