浄土宗の出家

 風雲急を告げる幕末の時代、時の大老、井伊直弼による尊皇攘夷派への弾圧が行なわれた年、安政六年二月二十日(1859)に山崎弁栄上人は千葉県の農村で生まれた。丁度、明治維新の十年前である。父親は「念仏嘉平」と呼ばれるほどの敬虔な念仏者だった。子どものころは他の子ども達がするとんぼ取りやセミ取りなどの殺生を嫌い仏画を書く事を好むおとなしい子だったらしい。十二歳の時、杉林の前で夕日を拝んでいる最中に空中に三尊像を幻視する。明治12年11月弁栄上人21歳の時小金東漸寺静誉大康(大谷派)によって、医王寺で得度し、浄土宗の僧侶となった。

一心法界三昧

 弁栄上人は24歳のとき筑波山に二ヶ月こもって日夜念仏をとなえる修行をおこなった。米麦そば粉だけで飢えをしのぎ口で念仏を唱え、阿弥陀仏の姿を心に思い浮かべ礼拝すること毎日、ついに一心法界三昧を会得した。

 弁栄上人の説明によると「一心法界三昧」とはこの宇宙に存在する森羅万象のすべてが自分の心の中にある事を悟ることだという。自己と他人の区別、自己と環境、さらに時間と空間の制限を越えた世界、二元性を越えた法界と自己の心が溶け合って一つになったのが法界心である。その法界心そのものになったというのである。ひとつだから自他の区別はなく、そこには内側も外側も中間もないのである。

 我々がなぜ心の中に宇宙のすべてが存在する事が見えないかというと自我の観念に深く覆われているからだと言う。我々は肉体や思考や感情を自己と思い込んでいるのである。今まで自分の外側に見ていた森羅万象が内も外も区別がなくなり、あるがままに映し出されていることを大円鏡智と呼ぶ。

 弁栄上人は明治の人であり、その教えは仏教用語に満ちており、我々凡人には難解である。
『予,かつて華厳の法界観門に由って,一心法界三昧を修す。行住坐臥つねに観心止まず。ある時は行くに天地万物の一切の現象は悉く一心法界の中に隠没し,宇宙を尽くして唯一大観念のみなるを観ず。また一日道灌山に座禅して文殊般若をよみ,心如虚空無所在の文に至って,心虚空界に周遍して,内に非ず,外に非ず,中間にあらず,法界一相に真理を会してのち,心常に法界に一にせるは是非平生の心念とはなれり。之すなわち宗教の信仰に所謂,光明遍照中の自己なり。大円鏡中の自己なりと信ず。』弁栄上人「無辺光」

不殺生の行為

  蛇が衣を這い上がり、猿が無心に戯れる中、弁栄上人は体はやせ衰え垢だらけ、髪も髭もぼうぼうになって窟に篭り、一日に十万回の念仏をとなえ、虚空を我が心とした。我々のような凡人にはいくら想像しても想像できないという境地だという。

 下山して支援者の家に立ち寄った時。汚れた肌着に虱(しらみ)がうようよしていたので、家人が熱湯をかけて殺そうとした。弁栄上人は「そのまま裏口にほしておいてくだされば、虱はてんで好きな方にいってしまいます。」と言って家人が虱(しらみ)を殺そうとする行為を止めさせた。その後も古くなった着物に虱がわいても決して殺さず日向に出してその去るのを待った。

 また、さした蚊を潰すものを見ると 弁栄上人は「そうしてたたくと蚊の針の先が体にのこって毒になります。そっと追うと針を抜いて去ります。」と諭した。弁栄上人の歌「やみの夜に なける蚊のこえかなしけれ 血をわけにける えにしおもえば」

 手足を蚊にさされても弁栄上人がじっと血を吸わせて追われもしないので「お上人様蚊が」と申し上げると「いのちがけでくる蚊です。血の一滴や二滴供養してもいいでしょう。人はわずか蚊一匹のために五尺のからだがとらえられて鬼の心になる。。そして蚊を殺したと思っているが、自分の大切な霊性を殺していますね。」と静かにお話しになった。それまで蠅たたきをつくってまで殺しまくっていた求道者たちはそれから蠅も蚊も気にしなくなったという。

 歩く時は道に這う蟻を気を付けてさけて通られる。子供がこれにいたづらをしている所を見ると、 「蟻蟻さんの子や兄弟が泣きますよ」と丸みのあるやさしい声をかけられた。

無執着

  ある日訪ねた信徒が,上人が土鍋で白い汁を煮ているのを不審に思い,何ですかと尋ねると
弁栄上人 「これは白米のとぎ汁です。米の方は来客に出してしまったので, 今日はそのとぎ汁を飲んでいます」

 飯米がない。村人からあるいは甘藷、あるいは麦をいただいて飢えを凌ぎ、三日くらいは食べるものなき時もあった。お困りでしたろうと尋ねる人があれば、弁栄上人「時々断食してみると、身も心も軽くなり、よい気持ちです」

 冬も火鉢はもちろん布団もない。朝早く訪ねた人が上人のおつもりに藁切れが着いているのが可笑しく、わけを聞けば 上人「この頃は寒さが強いから、藁を着て寝ます」 良い下駄を供養するものがあれば辞退して、上人「坊主によいものはいりませぬ」

 弁栄上人 「預言ができるとか,病気がなおるとか,そんな奇蹟がなんの価値がありましょう。 凡夫が仏になる。これほど大きい奇蹟がまたとありましょう。」

 山崎弁栄上人は人々に阿弥陀如来の知恵と慈悲の光明のなかで念仏をとなえて生きていくことを教えた。自らの信仰を光明主義と呼んで、生涯、熱心な布教活動を続けて多くの帰依者を得た。山崎弁栄上人は他説を破邪することがなかった。上人にはすべてが完全に向かう姿と見えたのである。

慢心

 霊験を求めていた婦人が弁栄上人に帰依し45年間精進してなんらかの霊験を得るようになった。そのうちにその婦人は自分の境界を吹聴するようになった。

 能力をひけらかすのは自己評価欲求が満たされていないからで、「私を見て、私ってこんなにすごいのよ。」という行動パターンを取ってしまう。慢心もすぎれば問題を起こすのである。

上人「三歳の子どもが正宗の名刀をふりまわしても自他ともに傷をつくる。」
上人「水晶のコップでも穴があっては役にたたぬ、ガラスのコップでも無疵(むきず)のものがいい」


 弁栄上人は自分から世間話をされたことはなく新聞にある出来事を申し上げても「左様で」と低い声で簡単に受け答えされるだけだった。弁栄上人があまりににもおごそかなので、窮屈かと思えば終始なごやかで親しみ深かったという。無駄口一つされずいつもニコニコとされていた。

弁栄上人の心鏡

 不動妙王を信仰する行者が
「私はときどき亡者を見ますがあなたもさだめて亡者をご覧になるでしょう。」と申し上げると
上人「いや私は生き者ばかりが相手ですから、亡者はみません。」と話された。

 一般に超能力や霊的な現象がある所にはそのことに興味を持つ者が集まってくるものだ。弁栄上人は決して自分をひけらかす事はしなかった。弁栄上人はひたすら光明のただ中にいた。しかし侍者は弁栄上人の天眼が開いていることを知っていた。

 江戸川べりを通っておられると急に立ち止まって合掌念仏された。従者がその理由をたずねると水底に水死体があるといわれる。従者が村人にこれを話すと丁度水死した人が上がらず困っていた。その場所を探した所果たして溺死体が発見された。それを話されても弁栄上人は振り向きもせず「ほうそうですか。」

 ある夜、「この寺で三十歳くらいの肥った婦人が亡くなったことはないか」と尋ねられた。この寺では先代の住職の妻が臨終のとき苦しんで若くして亡くなり、あとを追うかのように続いて住職も亡くなっていた。念仏を唱えている弁栄上人の心鏡にそれが映ったのである。

 従者に今に人が来るからと用事をいいつけられる。どうしてわかるのか尋ねれば上人「今向こうの松原に馬が通っている。その後に訪ねて来る人が歩いている。」といわれる。しかし部屋から馬はおろか松原さえも見えない。しばらくすると果たして人が訪ねて来た。

 近道をしようとして侍者が「こちらへ」というと
上人「そちらへいくな」
侍者「こちらが近いですから」
上人「いやそちらに蟻がたくさん集まっているから行くな」
侍者「どこにもいないじゃありませんか」
上人「いやむこうに」
どうかと思って見届けに行ったら果たして蟻が群がっていた。
すぐ引き返して上人に追いつくと
上人「お前は疑い深くていけない」

 法華経講義の本が読みたいがお金がないので黙っていた侍者に「法華経講義を読みたいか。」と弁栄上人が聞かれた。驚いて思わず「はい」と答えるとお金をくださった。すると本が割引になっていたので勝手な考えでお金を頂戴し残ったお金で鰻と焼き鳥を食べしまった。寺に帰って口を塩水ですすいでから何食わぬ顔で上人に挨拶をすると「鰻は旨いか」と問われた。そしらぬ顔をして侍者「もう一年も食べていませんから」上人「今日の鰻いっぱいでは足るまい。焼き鳥は旨かったか」侍者は観念して「上人、どうしてわかりますか」「お前のお腹の中にある」と語られた。

 ご法話中侍者があまりに喉が乾き本堂から下がってお茶を飲み早く本堂に戻りたい心から湯呑みを洗わずそのまま伏せて置いた。すると弁栄上人ご法話が終わり本堂から下がり、侍者が使った湯呑みを手に取り侍者に向ってニッコリ笑い、他の湯呑みでお茶を飲まれ、侍者の使った湯呑みとご自分の飲まれた湯呑み二つとも、みづから洗って元の茶盆に伏せられた。この弁栄上人による無言の教えに侍者はただただひれ伏すばかりだった。

ある時随行の人、上人の金をよくごまかしていた。上人はご存知でありながら一言もいわず、知らぬ顔をしておられた。上人の親族婦人が「このごろ随行の某氏に世上とかくの風説がありますが」と申し上げると、
上人「ハイハイその方はほんとうになにくれとよく気をつけてくれますので、私も喜んでおります」

無限の光

 弁栄上人はいかなる時も「それは困った。」などとと言われることはなく、都合の悪いことにも良い事にも「それがよい」「それでよい」としかお答えにならなかった。

 弁栄上人による涅槃とは生死の夢から覚めて、真如の光が現れることだという。私たちは無限の光と無限の命の世界からやって来て、そこへ又帰る存在なのだ。正覚とは太陽が出て、心の夜が明け、今まで見ていた娑婆世界が消え、宇宙全体が真実に輝いて、光明に満ちた蓮華蔵世界が現れることだという。その絶対なる世界が弥陀無量光如来のことだという。弁栄上人は阿弥陀仏を諸仏のなかの一仏ではなく、いわば宇宙の大生命そのものであるととらえた。

 念仏について弁栄上人は「心が阿弥陀に同化した上はたとえ念仏を唱えなくとも一切の行為が念仏となる。阿弥陀の業が行為に表れるのならばむしろ立派な仏の行為である。念仏とは口で唱えるだけではない。阿弥陀の心より出る行為は口で唱える以上の念仏である。従来の念仏者はただ口ばかりを重く見て仏の行為をしないのは発展度が低いことだ。」と語った。

 阿弥陀の語源はサンスクリット語のアミターユスあるいはアミターバが語源だがアミタは「無限」アーユスは「寿命をもつ」の意味なので無量寿という中国語訳があてられた。アミターバはアーバーの意味が「光を持つ」なので無量光と訳された。阿弥陀は意味を訳さず音を漢語にそのまま当てはめたのである。そうすると阿弥陀の世界とは死んだ後の世界のことではなく、この宇宙そのものをあらわしていることになる。

菩薩の眼

 浄土とは如来の成所作智(じょうしょさち)の現象であるという。ウパニシャッドやシャンカラの注釈によると神は自己のキャンバスの上に自己自身の多様な絵を描き、己自身がそれを見ておおいに喜びに興じるという。成所作智はこの眺め楽しむ僭像の働きをいう。弁栄上人によると浄土がいまここを離れて物理的にあると考えるのは間違いで、法眼が開けばこの現実がそのまま浄土であると説く。念仏門の人はあまりこのような主張はしないらしい。生きているあいだはとにかく念仏を唱え死んでから西方浄土に行くと考えているのである。

 大般若経によると菩薩には肉眼、天眼、法眼、慧眼、仏眼の五つの眼があると説かれている。これを身体論に当てはめると粗大身(グロスボディ)の物質的な自然界を見る眼が肉眼、天眼であり。法眼、慧眼は微細身(サトルボディ)の眼になり、仏眼は原因身(コーザルボディ)に相当するだろう。

 法眼が開くとこの世界が浄土の荘厳な様子のように黄金の光に満ちて美しく見える。慧眼が開くと眺めている世界と眺められている世界が一つで光明そのものである事がわかる。仏眼では見るものと見られるものすべてが光明に溶け込んで一つになっている。そこでは分たれてはいない。

 弁栄上人は物質的な娑婆世界と眼に見えない荘厳な浄土世界の両方を見ていたのである。こんな弁栄上人だったのでしばしば念仏の世界からは伝統的な教えと違うので異安心(いあんじん)ではないかと噂され離れて行く者もあった。異安心(いあんじん)とは浄土宗、浄土真宗の用語で異なった安心、つまり間違った教えのことである。キリスト教で言えば異端である。

 あるとき、あまりにもみすぼらしい弁栄上人の身なりに案じた帰依者の婦人は「真宗の教えに一致させてはどうでしょうか」と涙声で上人に訴えた。
「天台宗の異安心者が法然上人となり、また日蓮上人となり、法然上人の異安心者が親鸞上人となったのです。浄土宗の末徒必ずしも法然上人の御心を汲むものばかリではありません。それもやはり異安心者です。弁栄はしかし法然上人の御心にかなうので、ある意味の異安心でも悪いのではありません。」と崇高な態度で話された。あるとき異安心について聞く真宗の僧侶に向って「弁栄の苦心は宗祖の真精神を現代に復興せんかとの一事にある。」と説かれた。

引用・参考文献
日本の光 弁栄上人伝   田中木叉著 光明修養会
如来光明の礼拝式 弁栄聖者 光明会
「浄土仏教の思想14山崎弁栄」 講談社
名僧列伝〈4〉一遍・蓮如・元政・弁栄聖者」紀野 一義 講談社
山崎 弁栄「無辺光」 講談社
山崎 弁栄「人生の帰趣」ミオヤのひかり苑
山崎 弁栄「弁栄聖者光明大系・清浄光」 ミオヤのひかり苑
山崎 弁栄「弁栄聖者光明大系・炎王光」ミオヤのひかり苑
山崎 弁栄「弁栄聖者光明大系・無対光」ミオヤのひかり苑
山崎 弁栄「弁栄聖者光明大系・無礙光」ミオヤのひかり苑
山崎 弁誡「弁栄上人の片影」板入書店
岡潔「一葉舟・辨榮上人伝」読売新聞社


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