プンジャジ poonjaji

 南インド、タミルナドゥのティルバンナマライにラマナアシュラムがある。今世紀最も重要な聖者の一人といわれるラマナ・マハリシ(1879〜1950)が開いたアシュラムである。1947年プンジャジはラマナ・アシュラムに滞在していた。プンジャジはパンジャブ州の生まれである。

 1947年8月15日にインドとパキスタンは分離独立した。突然パンジャブは二つに分割された。インドの実情を全く知らないロンドンの弁護士が統計資料だけでペンで国境線をひいたのである。ナナクの生誕地はパキスタンになった。

 イスラム連盟のジンナーが強固に連邦政府案を拒否したためイギリスは分割を決意、パンジャブとベンガルの分割は独立の2ヶ月前の6月3日に突然発表された。そのため、パンジャブ州のヒンドゥー・イスラム・シークの人々はわずか2ヶ月のあいだに移動しなければならなかった。このとき1500万人が難民となり着の身着のまま、わずかな家財道具を持ち移動した。パンジャブ州は大混乱に陥った。各地で略奪が横行した。列車で避難した人々の中には女、子供、妊婦にいたるまで、列車の避難民全員が虐殺された者もいた。当然、ヒンドゥー・イスラム・シークの間で復讐の連鎖がインド中に吹き荒れた。

 7月の中頃、誰かがラマナ・アシュラムにやって来てラビ河のどちらからプンジャジがやって来たか訪ねた。プンジャジが「私の町は河からかなり離れている。」と答えると彼は「国が二つに割れラホールとペシャワールの間に住んでいる家族は、もしあなた(プンジャジ)が救い出さないと、虐殺されてしまうだろう。」というのだった。新聞も政治にも関わらなかったのでそれについてプンジャジはほとんど知らなかったのである。

プンジャジは「私はすでに全ての家族を忘れてしまった。」
「全ては夢であった。」
「両親、家族、子供達、国家、全ては夢であった。」
「全ては終わった。」と彼に語った。
この時、プンジャジはかなり強い無執着の境地に入っていた。

 これを聞いた彼は、プンジャジが語ったことをラマナ・マハリシに告げた。ある日ラマナ・マハリシとプンジャジが一緒に朝の散歩に出かけた時、マハリシはプンジャジに尋ねた。
「なぜラホールに行って、家族を救い出さないのかね。」
プンジャジは言った。
「私がここにやって来た時、私は妻や子や両親がいたがあなたが私に一瞥を与えて下さった時、全てが終わりました。」
「今はあなたがわたしの唯一の身寄りで、この世に他の誰もいません。」
ラマナ・マハリシはプンジャジに語った。
「それを夢だと言うなら、なぜ夢を恐れているのかね?」
「夢の中で、あなたの妻や親せきの面倒を見に行った方がよい。」
「なぜ夢を恐れているのだ。あなたの夢の手は夢の虎のロの中では全く安全だ。」
「この様に世間で生きなさい、そしてそれを夢と呼びなさい。恐れないで、夢の中で働いている様に働きなさい。」
「夢は夢で、本当のものは何もないが、息子もあなたも又夢の中にいる。」
「だから、夢の息子を夢の国に行かせて、夢の中で夢の両親を救いだしなさい。」
この様に、ラマナ・マハリシはプンジャジの為に夢を意味づけた。
そして彼は言った。
「あなたがどこにいようとも、いつもあなたと一緒に私はいる。」
この言葉でプンジャジは理解した。「私がどこにいようとも私と一緒にいるのは彼で即ち『私』だ。彼が『私』である、即ち『彼(セルフ)』が私がどこにいようとも私と一緒にいるのだ。」プンジャジはラマナ・マハリシの元を立ち去ることを決意して彼のまわりを三度まわってラマナ・アシュラムを後にした。

 プンジャジがパンジャブ州にやって来た時、ラホール行きの汽車は空でイスラムだけが「ヒンドゥーを殺せ」と叫んでいるのを見た。そしてヒンドゥーの人々は安全の為に皆一カ所に固まっていた。
その時プンジャジの心にイスラムの所に行って、彼らと一緒に座りなさいという考えが湧いた。
プンジャジはヒンドーと一緒にいたかったし、プンジャジの手にはヒンドーの徴であるオームの入れ墨があったし耳にもピアスの穴があいていた。それなのにどうしてイスラムと一緒に座る様にという考えが湧いたのかプンジャジはいぶかしがった。

 プンジャジはいつの間にかイスラムと一緒に「ヒンドゥーを殺せ!」と大声で叫んでいた。
そうして、他の全てのヒンドゥーは汽車から引きずり出されて殺されたにもかかわらずプンジャジだけが無事にラホールに着いた。

 故郷の町についたプンジャジはヒンドゥーが誰もいないことに気づいた。馬車の運転手にヒンドゥーだと疑われないように住んでいた家の近くのイスラム居留地にいくようにいった。そこからプンジャジの家があるヒンドゥーの居留地のグルナナクプラまで歩いていった。

 家にたどり着いたプンジャジはベルを鳴らした。しかし誰も答えない。すると屋根の上から「誰か?」と尋ねるプンジャジの父の声が聞こえた。ようやく息子だと解ると父は「なぜやって来たのか?どの様にしてやって来たのか?汽車はまだ動いているのか」と尋ねた。

 プンジャジのイスラムの友人がインドに戻る手はずを全て整えてくれた。プンジャジの家族、40人は汽車で安全に、ラホールを後にした。他のほどんどの家族は虐殺されたがプンジャジの家族は誰も傷つかず奇跡的に助かった。プンジャジは「これがマスターの恩恵だ。彼が全て面倒見てくれた。」と語った。

 インド・パキスタン分離独立の混乱で100万人の犠牲者が出たのではないかといわれている。2年後の48年にインド独立の父ガンジーはプネー出身の暴徒に銃撃されパキスタン独立の父ジンナーは病気でこの世を去っている。分割を決めたイギリスのマウントバッテンは1979年アイルランドのIRAの爆弾テロで死亡した。

胡蝶の夢という話がある。
ある日 荘子は夢で蝶になった。
自分は胡蝶そのものと思い込んでいた。
目が覚めると、蝶ではなく、なんと自分は荘子だった。
荘子の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘子になったのかはわからない。
それともどちらも夢なのか。
夢に気づいているものだけが夢ではないという。

参考文献

「南インドの瞑想」おおえ まさのり 大陸書房
「真理のみ」私家版
「覚醒の炎」 プンジャジ ナチュラルスピリット
「ヒンドゥー・ナショナリズム」中島岳志 中央公論新社
「ヒンドゥー教とイスラム教」荒松雄 岩波書店
「南アジア現代史」山川出版社
「シク教の教えと文化」保坂 俊司 平河出版社
「インド思想史」中村 元 岩波書店

「ヒンドゥー教史」中村 元 山川出版
「ヒンドゥー教」R.G.バンダルカル せりか書房
「アーリアンとは何か」津田 元一郎 人文書院
「インドの神々」リチャード ウォーターストーン 創元社
「中世インドの神秘思想」トゥッラ 刀水書房
「インド思想」早島 鏡正 東京大学出版会
「ヒンドゥー教の本」 学習研究社
「ヒンドゥー教」 ニロッド・C. チョウドリー みすず書房
「シク教」 W.O. コウル  筑摩書房


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