オニオン・ピーリング・ヴィジョンと
ロータス・ヴィジョン


 蓮は泥を栄養に成長して平安と静寂に輝く美しい花を咲かせる。
私たちの本質も蓮の花のように内側から自然に輝く美そのものなのだ。
泥の中にあっても蓮の本質が汚れる事はない。
どんなにひどく汚れた状態であっても
あなたの本質の輝き、美しさが失われることはない。
私たちの本質がそのまま美しい蓮の花であるという真実を蓮の花は表している。


探求の道にはオニオン・ピーリング・ヴィジョンとロータス・ヴィジョンの二つの真理の教えが潜んでいる。

相対的真理のオニオン・ピーリング・ヴィジョンではタマネギの皮を剥く様に努力して覚醒を得ようと努力をする。悟りに近づくために、ヨガ、瞑想などあらゆるワークを実践して覚醒を得ようとするのである。

オニオン・ピーリング・ヴィジョンでは純粋な存在である本当の自己はエゴという思考や感情で覆われている為に自分が悟った存在だという事がわからない。そのため祈りやマントラを唱えたり、何時間も瞑想をしたりするのである。

絶対的な、究極の真理であるロータス・ヴィジョンにおいてあなたは、あるがままで完全な存在である。 あなたはすでに完璧な存在なので、 目覚めようと誰かに教えを乞いたり、あらゆる意図的な努力や訓練、瞑想の修行をして目覚めようと努力する必要はない。修行をする必要はないのである。

瞑想は「ある(being)」ことと「すること(doing)」に関わっている。「being(あること)」はロータス・ヴィジョンなので集中などの努力は必要なく、今この瞬間にあるがままに存在している本来の自分に気づいているだけだ。

「being(あること)」を求めて瞑想修行をして何処かに到達しようと努力「doing(すること)」をするのがオニオン・ピーリング・ヴィジョンである。

しかし「doing(すること)」をやり続ける限り、「being(あること)」にくつろげない。

瞑想者は このオニオン・ピーリング・ヴィジョンとロータス・ヴィジョンの二つの真理の間をさまよう。

本当は一つの真理をマインドが分けているだけなのだがオニオン・ピーリング・ヴィジョンとロータス・ヴィジョンが一つの真理としてふに落ちるまで探求者は彷徨しなければならないのである。


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