ブレスワーク体験記


ブレスワーク体験記 in New York Vol.1

  世界に恋する

ブレスワークin New York May2007


こんなに疲れた一日は人生トップ3に入ります。
まーまだ短い人生ですけど。

かなりぶっ飛ぶという話を聞いていたので、自分はどうなるんだろうなーとぼんやり考えていたのですが、ばっちり予想が当たり、私は「暴れ、泣き、叫ぶ」でした。

私は本当にありがたい話で、Mさんが私のシッターをしてくださいました。
過去の思い出が蘇ってきて、私は自分の意志とは離れたところで叫び、泣き、暴れました。

悲しかった時に泣けえず、怒りたかった時に怒れえず、伝えたかった時に伝えきれず、ただ「大丈夫だよ、もう怖くないよ」といって抱きしめてほしかっただけだったのに、それを得られず。欲求を押し殺し押し殺し、
こうして私は生きていたようです。
私はこんなにも我慢していたのかと唖然とします。

この「ブレスワーク」という空間は「何でもあり」であると、安心して何でも出して良い。思いっきり何でも表現して良く、そしてそれを見守り受け止めてくださる方がいる。
守られていると実感として感じること、安心を心の奥底から感じること、今まで体験したことがなかった気持ちでした。

叫ぶということがここまで気持ちのいいものなのか、思いっきり解放して泣くということがこんなにも楽しいことなのか、発散とは浄化、浄化とは癒し。

私がただただ泣いて泣いて叫んでいた時に、playasさんとMさんが側にいて包んでくださったあの時。 汗だくで涙と鼻水にまみれた私の額やほほをそっとさすってくださるMさんの手に、ファシリテーターの清水さんが胸のチャクラに当ててくださっている手にものすごい愛を感じ、どれだけ私はその愛というものに飢えていたか、自分のことながら驚きます。

お昼と夜と、Mさんお手製のおにぎりを食べて、おいしいお茶をいただいて、こんなすばらしいワークショップに行ったのは初めてです。ありがたい。

セッション後に「何でもいいからね」とみんなそれぞれ描いた絵。皆さんの絵がそれぞれ面白い。こういったワークの後だから当たり前なんでしょうが、誰も芸術だなんて狙って描いてない!ここまで素直な絵達は全くエネルギーにあふれていると思いました。
私は強く描きたい衝動に駆られ、家に帰ってからもいろいろ描いてみました。創造することの根本は私は浄化だと思うのですが、確信した気がします。

一緒にあの場にいてくださった皆様に感謝します。皆さんのそれぞれの思いを聞いていて本当にたくさんエネルギーを頂きました。
そしてもっと私には見えないほかの存在にも感謝します。
ありがとうございます。

午前の部も午後の部もたっぷり暴れた私はかなりぐったりです。
それなのに!
明日は実は個人セッション!
大丈夫か自分?
体中筋肉痛なんですが。どうなるか、乞うご期待。

私の個人セッションは一生忘れない日の殿堂入りです。

前半はグループのときの続きのような感じで、しびれを感じ始めてからじわじわと苦しさが湧いてきて、ある程度まで貯めて、堰を切る。一人だから思いっきり暴れ、叫び!さすが清水さん慣れてますね。エビぞりになって叫ばせて頂きました。グループのときは泣いていたけれど、今回は涙はもう良かったのか、怒りがわき起こっていました。叫ぶっていうか吠える。
次の日喉がかれていました。

ある程度暴れたら、自分でも軽くなったのがわかります。
そしてだんだんと落ち着いてきてからもなお呼吸を続けます。

体の心地よい振動。明らかに感じるハートチャクラと丹田。体の中にピン球ぐらいの大きさの部分が振動している。その振動の心地よさ。ものすごい共鳴。体全部が楽器のように鳴り響いているよう。

なおも呼吸を続けていたらだんだんと体が熱くなり、体があるんだかないんだか。
このあたりから最後までは究極のエクスタシーの中で溶けてうねっていました。

想像してください。オルガズムが30分(どのぐらいの時間かわかんないけど)ぐらい続いてるのを。
すごい。自分で体験したけど、すごいです。
普通のsexなんてカス(!)です。
こんなもん体験しちゃってこれからどうすればいい?

波の音の中での恍惚。宇宙とsex。
喜びが湧き水のように湧いてきて、顔が自然にずっとニコニコしている。

私は育ってきた環境や過去にあった性的なトラウマのこともあり、性欲を素直に受け止めずに抑圧してきていたと思います。このセッションでの体験はそれを真正面からぶつけられたようで、この性の喜びを祝福せずになんとするかと問われた気がします。

最後のあたりはいくつかごくごく個人的な経験としてとらえた出来事もあり、「癒し」というのは最高に美しく残酷できわどいところでも起こるものだとは思いました。
まったく宇宙は奥が深い。退屈させない。

これは自分の中の「女性性」の目覚め。もう一人の無視し続けていた「私」が今横にいて、「こんにちわ」と言っているようです。

こういうワークの深い部分は私の中でわからないことが多い。というかわからない事だらけ。

あとから清水さんはこういった事と、クンダリーニヨガや密教のタントラとの関わりを教えてくださいました。もう少し勉強してみます。


セッション直後は混乱していたのか、よくわからなかったのですが、徐々に日々の中で上昇していき、3日後ぐらいからうなぎ上り!今は完全に自分で自分の変化がしっかりわかる。

何しろ軽い。ものすごくハッピー。
なんだか良くわからないけどハッピーだからオッケー。
全く世界が美しくて、わたしは世界に恋しています。

それから特筆すべきはアート。
ワークの後からずっと何枚も絵を書いています。
ただもう頭に浮かぶイメージを描く。今まで9年間みっちり組織化された純粋芸術の訓練を受けてきたこの私が信じられないような絵を描いている。ワークを受ける前の私が見たら笑い飛ばすような絵。でも、今の私が今一番描きたくて、描いていて楽しい絵。
何かを創造する喜びってこれでいいんですよね。
シンプル。


今こういう体験ができて私は本当に果報者。
清水友邦さんMさんPさん、ほかの関わった全ての方々、物質的実体を持たない周りの存在の方々全て、ありがとうございました!
これからもよろしく!

ブレスワークin New York May2007

                 20代女性 Sさん


ブレスワーク体験記 in New York Vol.2

自我の解放を人生初めて体験

11/10-11'2007

第1回目:「活元運動」
野口整体の活元運動を長年してるせいか、呼吸を始めると活元運動が出て身体が動く。全身を動かして楽しい。身体の中から楽しさが湧き出て、喜びが身体中を駈け巡り、げらげらと大声で笑う。近頃、Emotional Freedom Techniques(*1)のワークショップ中に、痛みのある右胸(医者に行っても不明)が、もう一人の小さな自分として登場、「もっと愛が欲しい、もっと愛を表現したい」と伝える体験をした。そのせいか、私は自分の右胸に「ずっと愛してるから、私は見捨てないから」と言い続けていた。痛みをとてもいとおしく感じた。

第2回目:「右目が素直になったらと言う」
やはり活元運動が出る。大きな卵子の中に精子が1匹、2匹、3匹と入っていく。やがて全体がくるくる回って、光の玉になり、沢山の玉と一緒に踊ったり、光の玉が水の玉になり、水中を自由に泳いだ。右目(緑内障で視野が欠けてプレッシャーを感じる)が「もっと素直になったら(もっとラクになれるよ)」と伝えた。身体を反らせてちぎれる程えびぞりになりたい欲求が来て、思いっきりえびぞりになると、満足感と幸福感に包まれる。

第3回目:「悲しみそのもの、怒りそのもの、そして解放」
深く丁寧な呼吸のうちに手が痺れて指が沢山の吸盤状に変形。そのうちに今まであった「自分」という意識が断続的に切り落ちていく。今回は活元運動は出てこない。目の下から顔を押さえてもらっているうちに顔から突然悲しみが湧き出してきた。涙、涙、涙。私は本当はこうやって大声を出して泣きたかった。泣き顔を笑顔にすり替えて感じないふりをずっとして来た。その時の悲しみが顔にへばり付いていたことを知った。私の悲しみは世の中全ての悲しみへ、そして存在していることの悲しみへと変容し、それを絞り出した。
お腹を押さえてもらってると下腹から怒りがふつふつと湧き上がり、どんどん吹き出して大爆発。ついには我を忘れ、私は怒りそのものと化して、大声を出して全身全霊で怒りを放出している。下腹からの大きな怒りの炎の柱ノ怒り、怒り、怒り、夫の小さな顔が一瞬浮かぶが、それを吹き飛ばして大きな柱が何度も突き抜ける。身体の右側にまだ怒りの炎が残っている。
いつも疲れを感じる右目、右胸、右脇腹はこの怒りと関係してたんだ。それを叫びと共に絞りに絞り出したところで脱力。心と身体がバラバラになる感覚を体験する。身体は操り人形のように脱力して心がそれを傍観しているような状態。時間のない空間に漂っている感覚。穏やかで平和な気持ち。開放感、快感。身体に心が戻っていく過程で見たVision ミ 産道の中をゆっくりと光の見える出口へと身体が促されていく。私は未だここ(子宮?宇宙?)にいたいのに、私はこの安全な場所にいたいのに、といくら言っても分かってくれない。これからの試練を知ってるから、それでも外へ出て行かなくてならないことが悲しくてまた泣いた。人生は苦しいと知ってても向き合う運命を受け入れる悲しみに泣いた。光の外へ出る時には痛みはなかった。
ただ心と身体が再びくっついても暫くうまく繋がってない感覚が新鮮だった。全てが一度外れて再びくっついたような、一度死んで生まれ変わった不思議な感覚だった。直後に食べた玄米おにぎりは味雷に染み入って初めて口にした食べ物のように思えた。自分を抱きしめて誰かを抱きしめたい。全てが新しくていとおしい。側について誘導して下さった先生のありがたさに心から感謝します。

まとめ:
活元運動も錐体外路系(無意識下)の動きを通してエネルギーの解放を目指すが、ブレスワーク・リバーシングはその先にある潜在意識下の感情に分け入り、自力で自分を変えていく強さが備わっているように思う。今回、自我がなくなるノ自我の解放を人生初めて体験した。
病気は感情と深く結びついていると実感したことがある。病状がいっこうに改善しない情況に、どんな方法でも試してみたいと思う気持ちからバーバラブレナン・エネルギーヒーリングを受けたところ、劇的な体験(*2)をして病状が好転、5度目の手術が延期された。自分の中に本人が気付いていない感情があることや、今までの治療(手術・薬)以外の治療法があることを知る。EFTを通じて痛みや病気が訴えている声を聴くことを知る。そして今回のブレスワーク・リバーシングで感情がエネルギーであることを知った。知らず知らずのうちに溜め込んだ感情のエネルギーがつかえて滞留することで、痛みや病気を引き起こしている。動くこと、流すこと、こだわらないこと、委ねることが治癒への道だと確信した。自分のクセ、例えば私は吸う息よりも吐く息の方が多いことに気付かされた。先生が言っていた全てはバランス、人生のどこかでそのバランスを取ることになるんですよ、という言葉が印象的だった。そういえば子供の時、喘息で息が吸えない、大人になってもアレルギーで呼吸困難になったことを思い出した。自分のクセ、パターンに気付いて意識的に変えていくことも大切だと思った。自己の治癒力の可能性に目を開かせて頂いた貴重な体験をした2日間でした。いつでも生まれ変われるという希望が持てたことを心から感謝しています。

*1  略してEFT,身体のある部分を軽く叩いて呼吸をだんだんと深くして内部に入っていく方法。
*2  破れて穴の開いた右胸、感情コードと呼ばれる細い棒状の物体がささっている右わき腹ににサイキック手術のように処置を施していくイメージ、目にはピラミッドが被さっているイメージを得る。後でヒーラーと同じイメージをシェアしてたことを聞く。

                  30代女性 

ブレスワーク体験記Vol.3

「深い呼吸は人生そのもの」

私は友人からブレスワークの体験談を聞き、非常に興味を持ちセッションを受ける事にしました。自分の前世の記憶が蘇るのか、幼少期のトラウマからの解放か、はたまた自分の未来が見えるのか・・・あまりにも身近にありすぎて意識する事はない「呼吸」。その「呼吸」を深く早くすることによって一体何が起こるのだろう。恐ろしい恐怖を感じてしまったら?何も起こらなかったら?人生が変わるのかしら?・・・など少しの不安と期待を胸にセッション当日を迎えました。

「どんな感情が襲ってきても受け入れて、呼吸に集中して下さい」とのこと。これは人生についても言える事なのかもしれないと、セッション後の今、改めて思う事です。

「深い呼吸は人生そのもの」・・・セッションから得た気づきです。

指示された通りの呼吸を続けていくうちに、徐々に手足が痺れ、体の感覚が鈍くなり、それからは溢れ出る感情をコントロールする事が出来ないくらいのトランス状態でした。原子の自分に戻った様な・・・。非常に大きな「怒り」や深い「悲しみ」が感情そのものとして吹き出してきました。「怒り」は「怒り」そのものとして、「悲しみ」は「悲しみ」そのものとして。そして呼吸を続けていくと、そんな原子の爆発の様な感情が、次には、とても穏やかな「愛」に。

私がセッション中に体感した事の一つにこんな場面がありました。自分が太古の昔、クジラとして海に打ち上げられたのです。そうして海辺の民に、カラス達に、自らの肉体を彼らに捧げました。また、イオマンテ(アイヌ民族の熊送りの儀式)の小熊となり盛大な感謝と祈りを受け、魂を昇華させました。人々は皆、踊り、唄い、祈り、喜んでいるのです。私自身も大きな喜びに包まれているのです。私は祈りと共に肉体を捧げ、魂の旅立ちをしたのです。

また、こんな場面もありました。私はインディアンンの長老達に囲まれながら出産したのです。が、生まれてきた赤子は真っ赤な血で染められ、その小さな体は呼吸で波打つ事無く「悲しみ」そのものとして「死」をもって生まれてきたのです。私の左腕に横たわる小さな遺体を、とてもリアルに感じました。ものすごい「悲しみ」が私を襲って来ました。体中の水分が全て涙として放出されてしまうのでは?と思うくらいの深い悲しみの涙。涙。涙。悲しみと自責の念が全て「涙」と「叫び」として体から、心から吹き出していきました。しかし周りの長老達は悲しむわけでもなく、涙するわけでもなく、何かとても穏やかな表情で私を見つめ、話しています。すると私の左腕の中の小さな遺体が、灰色の猫に。フワフワの温もりと甘えた仕草。その子は現在、私が一緒に暮らす猫でした。彼女は「愛」そのものとしてそこに存在しました。

「愛」そのもの。

そこで私は深い「喜び」や「愛」を感じました。それは今までに感じた事の無い、深い深い「悦び」です。そして、「死」は「生」の一部であるということを体感したのです。また、「悲しみ」は「愛」の一部であるという事も強く感じました。物凄い悲しみ、「悲しみ」そのものが「愛」そのものに変わる瞬間を体感したのです。

「怒り」「悲しみ」「喜び」・・・そんな感情そのものを吐き出した後の心は、何だかポッカリと軽くてエネルギーがサラサラと通っている様な感じがします。

セッション終盤に海底で静止している自分がいました。死んでいるの?でも死は悲しい事じゃないから大丈夫。深くて青くて静かな海の底は私達の魂の故郷・・・という感情が溢れてきたのです。そして私の胸の辺り、丁度ハートのチャクラ辺りがパコッと開いて天に向かってピンク色の光の柱が伸びていました。光の中には白くキラキラした蝶々がいっぱいいたのです。

私はセッション中に、長い永い旅をしました。「私」という現在の肉体を超えた魂の旅です。そしてそれはこれからもずっと続いて行くのだなぁ・・・と感じています。

清水さんがおっしゃっていた「体は何でも覚えている」という言葉を大切に致します。・・・今まで体を粗末にしてきたなぁ・・・と改めて思いました。旅の途中の大切な体なのに、全然気を配ってあげなかったなと。そしてどんどん、鈍感にさせてしまったなと。 セッションを終え帰宅して数日が経ちますが、右首と肩甲骨の辺りの筋肉がつったように痛みます。こうした痛みにも気付かずにいたのかなぁ・・・なんて思いながら今は、この痛みを感じる事にしています。

そして先日、こんなことがありました。

近所の公園の通り道に、雀が死んでいたのです。きっとガラスにぶつかったのでしょう・・・。で、彼女(彼?)を公園の桜の木の下に埋葬しました。

きっと、彼女の魂は肉体を離れて今頃、たくさんの雀達とお祝いしているのかなぁ・・・なんて思いながら祈りを捧げました。色鮮やかなたくさんの鳥や蝶々たちと温かい春に旅立ったんだね、と。悲しい気持ちじゃなくて、むしろおめでとう!という気持ちがして、そっと彼女に触れてみたら温かかった。小さな魂のぬくもりが手の平が忘れないだろうなぁ・・・。

死は生の一部で、悲しみは愛の一部。

このような体験に導いてくれた清水友邦さんには、もちろんのこと、友人とのご縁にも感謝致します。とても日常では経験出来ない、素晴らしい体験となりました。本当にありがとうございました!世界中の全ての人々がブレスエナジーワークを受けたならば戦争は無くなり、あるのはただ「愛」と「平和」だけになるのでは?・・・なんて思います。

 すべての魂達へ。祈りをこめて。

                 2008年4月   

                 20代女性、Sさん


ブレスワーク体験記


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