ブレスワーク体験記


ブレスワーク体験記 in New York Vol.4

 私たちはエネルギーそのもの

               2010年09月13日

今回、Mikaさんが清水さんをNYにお迎えして、2日間のグループセッションを 企画されていたのですが たまたま、レイキ交流会の日と重なっていたり、レイキのクラスやキネシオロジーのセッションが入っていたので
参加できなかったのですが、今日、彼の個人セッションを受けることができました。個人セッションの方もすぐに予約が一杯になって キャンセル待ちの方が何人もいるとのこと。

清水さんは、インドやチベットで修行をされたマスターということで、もっと厳しい感じ?を予想していたのですが、 予想していたよりずっと若くて、ソフトな雰囲気の方でした。

最初にカルテに、自分の健康状態や出産の時の状態、また抱えている問題 好きな音楽まで、いろいろと記入します。

実は、この日まで、今の私は、自分の中の潜在意識を見てみても、何も問題が見つからないしもうこれ以上何も望むものはないほど、満たされていると感じている状態で この清水さんの貴重なセッション受けてもいいのかしら?もっと彼のセッションを必要としている方たちが、
キャンセル待ちをしているかもしれないのに、 という気持ちが心のどこかにありました。 でも、今回、これを受けることができるのも、みかさんとのご縁があったからですし 何より、私自身が、様々な体験を通して、より自分を深く知ってゆくことは今後、私がヒーリングセッションを行っていく上で 大切なことなのだから、と、この幸運を有り難く受け取ることにしました。

そして、それは予想していた以上にすごい体験でした。
ここまでの体験をするとは、正直なところ 全く期待していませんでした。 今、本当にこれを体験することができてよかったと、感謝で一杯です。
それは、とても言葉には表現できない体験でしたし伝えることはできないのですがこの貴重な体験を得ることができたのも、天からの恵みなのですからできるだけ伝えてみようと、ブログにアップすることにします。

ブレスワークのセッションがスタート

ということで、ブレスワークのついての説明の後、セッションがスタートしました。
マットの上に横になって、リバーシングの時のように呼吸を始めます。
そばに清水さんが座って、ハートチャクラを抑えながら、呼吸の指示をしてくれます。

「もっと深く吸って、呼吸を止めずにすぐに吐いて」
「吐く息の長さと吸う息の長さを同じにして」
「もっと思いっきり吸って」

そして、音楽がスタートしました。
このブレスワークは、呼吸法とともに、音楽、そして様々なボディワークを一体化したワークとのこと。

清水さんの指示通り、すべての意識を呼吸に集中するようにしながら その呼吸を続けます。

その呼吸を10分ぐらい続けたでしょうか?

それは突然やってきました。

なんというか、エネルギーがやってきたというか 私自身がエネルギーそのものになったというべきか 後から、清水さん曰く、クンダリーニが上昇したということでしたが ある呼吸の瞬間に一気にやってきたのです。

それまで、吸う息と吐く息の長さが一定のリズムで呼吸していた私は
突然、
「オオオオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜』

と叫んでいるのか、何かを吐き出しているのか、何かに共鳴しているのか わからないような低い声とともに、息を吐き続けました。
(後で思うと、あれはトーニングしていたという感じでした)

このまま、私は、永遠に、息を吸わないで、吐き続けることができるんじゃないかしら、 と感じるくらい、いつまでも深く吐き続けることができるのです。
それは私がコントロールしているのではなく、自然に起こっていました。

ここまで深く長い息を吐き続けるなんて、とても通常の状態では考えられません。
でも、それは清水さん曰く、思考が限界を作っているだけのこと。
私たちの身体は無限の力があるのだということが
この呼吸を通じて、はっきりと実感できました。

身体のどこにも痛みはなく、全身にビリビリとすごい電流が流れていました。
思考は停止していてなぜこんな声を出し続けるのか、
なぜこんな息を深く長く行うことができるのか
そんなことも、その時は考えませんでしたが、
意識だけは、はっきりとありました。

だんだんと、両手が広がり、腕が天に向かってのびてゆき、 宇宙を大きく包み込むような、形になってゆきます。

無限に降り注ぐ祝福

まるで、私は古代の巫女が天との交信をしているかのようにあるいは、神そのものとなって、 宇宙にエネルギーを注ぎ込んでいるかのような感覚でした。

それは喜びとか幸せとか、そんな言葉では到底言い表せない感覚。 圧倒的な至福感。

後で、清水さんが「なんだか神々しい感じだったよ」と言われていましたが その間、まさに私は、神そのものになったかのように感じてそれが無限に広がってゆくように感じられました。

清水さん曰く、
「神もエネルギーも光も愛も同じもの。
ただ表現の仕方が違うだけなんだよね」
と言われていましたが、本当に私たちはエネルギーそのものなのですね。

その間にも、清水さんは、私の第3チャクラだっだか
横隔膜のところだったかは、覚えていないのですが、強く押し続けています。
それは、時として痛いぐらいに押されるのですが
そんなことも、知覚としては感じているのだけれど
思考は、そこに行かないので苦しくないのです。

私は、もはや私ではなく
光であって、エネルギーであって
すべてのものであって、上手く言えませんが
清水さんが言うところの、自我が消滅した状態だったのでしょう。

私の意識は、身体の中にはとどまらず
無限に広がっていって、あらゆるものと一体化していました。

いえ「私の」などという言葉そのものが、もう全く違うのです。
ああ、なんて言葉は制約が多いのでしょう。
何も伝えることはできない、もどかしさを感じます。
(でも言葉で伝えるしかないのだけれどね)

そういう状態がどれだけ続いたのかよくわかりません。
私はずっと『オオオオ〜〜」という声を出し続けていましたが それから、呼吸は落ち着いてきました。
そうしたら、喜びと至福と感謝で一杯になり
ボロボロと涙が流れてきました。

無限に降り注ぐ祝福。
生きていることの喜び。
ここにいることへの感謝。

その頃から流れていた音楽が変わりました。
最初の音楽は、シャーマニックな音楽で
後で、清水さんに誰の音楽なのか、尋ねてみようと思っていて すっかり忘れてしまったのですが、私の体験していた感覚が そのまま音に表されているかのような、すごい音。
こんな音楽があったなんて。 そういう意識の時に聞いたからそう感じたのでしょうが、まさに宇宙の音楽でした。

そして、一旦少し落ち着いてから、再び、また深い呼吸を続けます。
それから、スローダウンしてゆきました。
清水さんが、静かに私のクラウンチャクラのところに手を置いてくれます。
それが、まるで観音様の手のように暖かく、優しく
私の頬を涙が静かに流れてゆきます。
でも、私の心は、本当に静寂に満ちていて、
ただその暖かな光の中に漂っている感じでした。
まるで、呼吸も止まっているかのような静けさ。

すべてのセッションが終了した後、起きあがったら、
本当にすっきり。
まさに電源を差し込まれて、エネルギーチャージされた後のような感じでした。
清水さんの包み込む大きな愛を感じます。


ブレスワークを終えて

こうやって書いていても、やはり全く伝えれないと感じるのですが
私が何よりも伝えたいと感じたことは
人は本来はエネルギーであって、光であって
愛であって、宇宙そのものなのに
思考がある限り、それを感じれないでいるということ。
少し前に、ジル博士が、左脳の機能が停止した途端
ニルヴァーナを体験したということを書きましたが
今回、まさに、そんな体験でした。

それにしても、やはりブレスワークすごすぎ。
サンペドロなど植物を使ったワークは、いくつか体験しましたが 呼吸だけで、しかもこんなに短時間で、ここまで覚醒できるなんて、本当に驚きます。

また、これまでの至高体験とは違った感覚でした。 これまでのものは、光や映像が観えたり、 祝福のエネルギーを感じたりという感じですが 今回のは、私自身が、エネルギーであり、神であったので オオ〜という声を出しながら、エネルギーを宇宙に向けて、 放出しているという感じでした。
みかさんの最初のリバーシングを受けた時もすごいと思ったのですが今回は、それをさらに突き抜けて到達した感がありました。

そして、清水友邦さんほんとうにすごい方です。
ヒーラーの中に起こっていることが、クライアントにも転移して起こる、 と清水さんが言われていて 私も日々セッションを通じてそのことは実感していますが
今回、私がこのセッションでここまで行くことができたのも、この清水さんだったからこそだなあと。 さすが、あのみかさんが師匠と仰ぐだけの方でした。

もちろん、ブレスワークもリバーシングも 体験することは、人それぞれ全く違いますし
また同じ人でも毎回違った体験をすることでしょう。
今のその人にとって、必要な体験しかやってきませんから
例え、どんな体験であったとしても、それをそのまま受け止めることが 大切だなあと感じます。
そして、ぜひいつか、また彼のセッションを受けてみたいと思います。
盛岡での清水さんのセッションは、温泉つきだそうで、とてもよさそう♪
興味がある方は、ぜひ一度、体験されてみてくださいね。

こういう体験の後には思うのですが、もしも、あの感覚を、 いつも持っていることができたらすごいなあ、と。
そういう方々も世の中にはたくさんいらっしゃるのでしょうね。
そして、いつの日か、すべての人がこの思考を超えた感覚 宇宙との一体感を、持ち続けることができる日が来たらいいですね。
(それは、もう3次元世界じゃないのかな)

    ニューヨーク在住 noricoさんのブログより
http://plaza.rakuten.co.jp/reikisolyluna/diary/201009130000/


ブレスワーク体験記 Vol.5

「究極のリラックス
     空の状態が私たちの実体なのか

2010年12月23日

朝 子供たちを送り出すとそそくさと新幹線に乗り込んだ。

向かった先は岩手の新花巻

どうしても今年中に会わなければいけない人に思えて
暮れ押し迫る師走 ブレスワークの清水さんの個人セッションを申し込んだ

そもそもツイッターから清水さんを知り
そこから10月のブレスワークに繋がった

それは高校生の時に衝撃的にやって来た問い

それも遅刻しそうになりながらチャリを漕いでいた時

私は一体何者なんだ
私はどこから来てどこへ行くのか

私を私と認識している意識はなに?

その究極の問いの答えが知りたくて岩手に向かった

今回のワークでも前回同様ボリュームたっぷりの体験が待ち受けていて
何から書いていこうか・・・

ゆっくり反芻咀嚼を繰り返しながら記憶をたどっていってみよう

その日駅に着くと清水さんが奥さんと迎えに来てくれてた

リアルにお会いする清水さんはツイッターでのストイックな印象とは違って
年齢よりも若々しくとても自然体でリラックスできる人だった

奥さんも穏やかで包み込むような優しさに安心感を与えてくれる人

ワークは2本を予定していた

前回受けているので特別なレクチャーもなくスタート

グループワークとは違って清水さんとのマンツーマンで
奥さんがシッター役だ

今回の体験も
なるべくジャッジしないで
起きることに委ねようと心に言い聞かせた


間断なく呼吸を始めると
まず手が硬直してくる

どんな展開になるのか想像もつかない


すると悲しみの感情が湧き上がってくる
嗚咽と唸り声で悲しみがとめどない

何の悲しみなんだろう


ふと双子の姉の顔が浮かんだ

「アッコと一緒にいたかった」

「アッコ?」

ええーーーっ( ̄□ ̄;)!!

キモイ キモすぎる


あまりにも当たり前過ぎる存在のカタワレに
まだそんな思いがくすぶっていたなんて?ジブン


この歳でどんだけあいつが好きなんだよ


離ればなれになった姉への思慕に面食らってると
今度は腰に激痛が走る


イタい イタ過ぎる

聞いてないよ?
ナニコレ シャレにならない痛さにのたうちまる


こんな痛みが来るなんてブレスワークもうムリ?
陣痛じゃないんだから勘弁してよ?


「痛みと同化しないで 呼吸に集中して」

のたうちまわりながら清水さんのアドバイスに耳を傾ける


痛みを感じてるのはあくまでも肉体だ
私が痛いわけではないのだ〈ここんとこ理解してもらえるだろうか〉


その痛みを感じてる肉体を観ている主体が存在するのだ
その主体にフォーカスする


すると不思議だ

痛みがスーと消えていく

エネルギーが解放されたのだろうか

腰にずいぶんと滞ったエネルギーが蓄積されていたみたいだ


感情と肉体の解放がある程度すむと
今度は体中が弛緩してリラックス状態に入る


脳波はシータ波だろうか

どんどんリラックスしていくのがわかる

でも意識はしっかりある

マインド〈思考〉も活発だ

でもトリップしそうな音楽に肉体の境界線が消えそうになる

ナニコレ キモチ良すぎ?

すると

すごい世界が出現した

それは静寂

いや静謐

う?んボキャ貧の私には伝える術がない


だってそれは私の想像を絶する世界だったから!!!


喜びでも至福でもエクスタシーでもない


不安でも安心でもない


光でも愛でもない


それこそ何も無い世界


自分の存在すらない世界


当然マインドも姿を消していた


超超超 究極のリラックスの世界とでも言おうか


波風ひとつ立たない静寂の海が広がる


う???なんだ一体この感覚は・・・



清水さんとのシェアリングでその話をすると
「それは空〈くう〉でしょうね」

「はあ? 空・・・ですか」

色即是空とやらの空か?


くぅ?たまらね???っ!と
オヤジギャグを飛ばしてる場合ではないのだ


自分の中にそんなスペースがあったとは
そのことを頭ではなく体験を通して垣間見てしまったとは
ただただ驚きだった


私はこの体験を自分のエネルギーフィールドに
確実に刻印した瞬間だった


究極のリラックス状態からの余韻に心もカラダも放心状態



だから休憩を入れて2本目に行くのをちょっと躊躇していた
イヤちょっとではなく実はかなり(T▽T;)


だってもう1本目ですでに身も心もヘロヘロ


全身筋肉痛


でも帰りますとは言えないA型


ビビりながら2本目に突入


やはり呼吸を始めると悲しみの感情が突き上げて来る


今回の人生どんだけ悲しいんだ、自分、と
冷静に自分ツッコミは忘れない


悲しみの消化不良を起こしてるな?

今度は一体なんの悲しみだろうと観察してみる


すると自分をわかってもらえない悲しみのようだ

フムフムそうなんか?

と嗚咽しながらも冷静なもんである


ところがそれだけでは問屋は卸してくれなかった


硬直した両手、両足から猛烈な痛みが襲ってきた

ついでに背中の肩甲骨からも


デビルビーム光線を丸腰で浴びてしまってる状態だ

イヤそれ以上よ

まぢコレ死ぬって

ホント勘弁してよ?

もーやだよー

やっぱり1本目で大人しく帰ればよかったんだよー

でも後悔先に立たずんば


絶叫でうめき声を上げながら
そんな私を押さえつけてくる清水さんを思わず蹴り飛ばす


どうぞ清水さんに蹴りが入りませんようにと
祈りながらも蹴らずにはいられないのだ

まるでプロレスだよ


押さえ込まれた私はその反動で清水さんを押しのける

ふくらはぎはつりまくり
どうしていいのかパニック状態


「痛いよー イヤー触らないでー」


「あ?れ? お代官さま?」

「よいではないか よいではないか」


   ┐( ̄ヘ ̄)┌


「痛みと同化しないで 呼吸に集中して」


呼吸に意識を持って行き
痛みを感じているのは肉体であって私ではないと
観察している主体にフォーカスする


とにかく肉体に残留するエネルギーは
放出されたがっているのだ


痛みというシグナルで上がってきたらそれを放出してやるしかないのだ


でも放出されてしまえば痛みはサーっと消えてしまうのだから
不思議としか言いようがない


ある程度の解放のあとはリラックスタイムに入っていく

さっきの静寂の世界をまた体験したくてマインドは疼いている


ところが違う世界が待っていた


やはりトリップしそうな音楽にカラダの境界線が消えそうになる


ところが私のカラダは波打っているんだ


これもどう説明したらいいんだろう

それはまさしくエネルギーの流れ


私はエネルギーそのものだ

これはもう否定しようがない


もうこれは私にとっては究極のリアリティだ



私たちは限定された肉体だけが自分だと思ってる

でもそれはきっと違う

肉体は私の一部であることは確かだが私のすべてではない



私たちにはとめどなく湧き上がる思考〈マインド〉がある

その思考が自分だと思っている

でもそれも違う

私の一部であることは確かだが私のすべてではない



私たちには自我〈エゴ〉がある

エゴが自分だと思っている

私の一部であることは確かだが私のすべてではない



私たちには感情がある

感情が自分だと思っている

私の一部であることは確かだが私のすべてではない



感情は記憶からやってくる

悲しい体験の記憶が悲しい感情を呼び覚ます



私たちには記憶がある

記憶が自分だと思っている

私の一部ではあることは確かだが私のすべてではない



私とは
本来の私とは

静寂に漂う究極にリラックスした存在だとしたら


マインド〈思考〉から離れることもできるし

マインド〈思考〉と同化する必要もない


肉体から離れることもできるし

肉体と同化する必要もない


エゴから離れることもできるし

エゴと同化する必要もない


感情から離れることもできるし

感情と同化する必要もない


記憶から離れることもできるし

記憶と同化する必要もない


だってすべて同化してしまうから苦しいわけで


それらを切り離すのか同化させたままでいるのかは
その人の選択にかかっているのかもしれない



あの究極のリラックス
あの何も無い空の状態が
私たちの実体なのか


だとしたら私たちは一体何者なんだ

何者でもないということなのか


この世界はどこまで行ってもパラドックスだ


分かれば分かるほど分からないことが増える

コトバにすればするほどパラドックスに陥る


でもそのパラドックスに身震いしている私はやっぱり何者なんだ


清水さんに別れ際「ブログ楽しみにしてますよ」
と若干のプレッシャーをかけられながらその日のセッションは終了した



奥様はじめ清水さんお世話になりありがとうございました


清水さんとの禅問答のような会話楽しかったです


今度はコブラツイストかけちゃうかもです〈爆〉


岩手の寒空の下
鼻水を垂らしそうになりながら最終の新幹線に飛び乗った



                 ミュルアさんのブログより


ブレスワーク体験記 Vol.6

「自分の真ん中が空であり
         不変のものだ」

                  2012年04月06日

ブレスワーク、とはどんなものか全く想像がつかないまま受けた私。
思いのままに生きたい、と思いながら出口を見いだせない日々。なんとかやりすごしてきたもののとうとう窮屈で息苦しくてたまらなくなったとき、勧められたのが清水先生のブレスワークでした。ただただ凄いの一言です。
ここで得た感覚のほんの少ししか言葉にできていないと思いますが、できる限りその時の印象を書いてみます。
ワークを始める前に確認したこと。頭でものを考えたり判断しないように、何かの考えが浮かんできたら呼吸に集中すること。痛みが出ていたらその痛みと戦おうとしないことが必要だといわれました。痛みに敏感で緊張の強い私は、痛みはいやだなあ、とか、うまくできるんだろうか、などと考えていましたが、いざ開始すると頭の考えと体の感覚とは全く別物だということに気づかされたのでした。
ワークは10〜15分間踊るところから始めました。体を上下に揺らしつつ、自分の好きなように踊るよう言われぎこちなく動き始めました。普段浅い呼吸しかしていないので、当初は深く吸って胸郭を押し広げるという感覚に慣れず、抵抗を感じてしまいました。それでも意識を向けて続けるうちに、腕が左右に振れ始め、意識が和らいでいき、だんだん全身の力が抜け始めました。踊りが大きくなったところでそのまま仰向けになり大きな呼吸を続けていきました。
時折みぞおちや胸、左肩に強い痛みを感じます。大きな呼吸が難しいという考えを取り去り、呼吸そのものを感じるまでに時間がかかったように思います。繰り返していくと、次第に手足の先がしびれはじめ、四肢が指のない大きな重い塊のように感じしびれと痛みが強くなり、今度はなぜこんな思いをしなければいけないのか、解放されたいなどと思いから呼吸をやめようとするところを、「呼吸に意識を向けて、争わないで」と誘導していただき、そのたびに意識を少しずつ切り替えていくことができました。

どれくらい強い呼吸を繰り返したのか、いつの間にか叫び声をあげながら体をそらし始めました。その声その動きに快感を覚え始めたころ、いつしか私は虹色で縁取られた光の輪、幾重にもまかれた金色の輪、時計が次から次へと出てきてくる中を上昇していました。
白い光の中を上り詰めていくと深い青の景色に変わり、鹿が出てきました。
私は変わらずオォー!と叫び続けながらも一方で冷静に成り行きを見ている自分を感じています。
青の世界は無限でその中に小さな胎児の自分、まだ人間として形になっていない小さな自分が卵の膜の中に漂っています。あまりにも大きくて底なしのエネルギーが放射されている場所にいる、と驚いている自分がいながら、胎児は夢を見ているようにぼんやりとして、場の心地よさを感じながら何も考えずただその海(宇宙)の青に漂っていました。
いつの間にか胎児は懐に抱かれていることに気付きました。もう一人の自分が見上げると聖母マリアの懐でした。いつくしまれ、愛されている。優しく深いまなざしを送られていることへの歓び。横には風貌からイエス・キリストと思われる男性が見守っていました。
ここが好きだ。ここにいてよいのだ。という絶対的な安心感、喜び、歓喜。ここにとどまっていたい気持ちがただただ強かったのです。
場面がかかわって今度は、その手から離れ、暗闇の中を細い道を下降する胎児。
イヤダ!コワイ!あんな所は嫌だ。怖いことばかり、つらいことばっかり。
行きたくない。イヤダ!イヤダ!という気持ち。イヤーー!と叫び続け涙がでました。
子供のころに性的なトラウマをもち、生きることに喜びを見いだせない自分。
そんな世界にこの心地よい場所から落ちたくないのだと全力で泣き叫びました。
それでも降りていく自分。降りるのか、押し出されるのか有無を言わさず暗い道を下降していきます。
出口と思われる細い穴からは光が見えていて、確かにそこに希望がある予感がしているのにとにかく嫌でした。
イヤー!!と何度も叫ぶと清水先生の温かい手がふれて、体温がそこからじんわりと広がってその気持ちに流されそうな自分に気づかせてくれ癒されていました。

さらに下降して、闇から抜けると同時に仰向けに体制が変わり、手足を思い切りばたばたするよう言われました。次に見たのは赤ちゃんとして泣いている姿。顔を赤くして眼をぎゅっとつぶって、泣くというより雄たけびをあげていました。
出てきてみたら嬉しかった。自分は達成したんだ。自分の力で光の中に生まれ出てくることができたんだ。目をつぶって思い切り泣いて、でも笑っています。手足をバタバタしても足で蹴ってもそこは広い世界。白い光がまぶしい。今まで経験したことのない白い白い光。混じりけのない白。
やったよ!生まれたよ!!と思い切り泣き叫んで、ここにいることを世界に知らしめたい。
アアアー!!という声をあり得ない長さで吐いていたように思います。
帝王切開で生まれたのにここでは産道を通って生まれているなんて後から考えたら不思議なことなのですが、生まれさせられたという感覚がなくなっています。

ひとしきり叫んだ後、音楽がかかります。後で伺ったところ1曲目はイヌイット、2曲目はインド音楽だったそうです。リズムに合わせて手をパンパンと叩かれると、欲求が解放されて手足が動きだします。
本当はクルクルと回りらせんを書いて上昇したい。なのにここでも自分の動きをみている自分があれこれジャッジしようとします。それよりも早く動いたり、間を一瞬おいて声を聞き流してしまうと、そのブレーキに支配されないのだと気付きます。段々気持が高揚し手でリズムをとりもはやブレーキ云々の考えもとりさられひたすら楽しくなってきます。
インドの音楽が鳴り始めて、下半身や足を動かし始めて最後のブレーキ、性的衝動を抑えるブレーキを突破したように思います。体が軽くて昔やってたのではないかと思うくらい楽しくてたまらなくなりました。体は踊りたいという欲求のとりこになっていて、腰や足を使って繰り返し動くうちに、女性としての歓び、官能的な気分が急に高まっていき、それが自然にできていることがまた嬉しくてこれまでにない幸せな気持ちで、踊り続けたい気分でした。
曲が終わるとさすがに体の疲労感と、みぞおちに詰まりと吐き気を感じて動きが鈍くなり、そのままダウンしそうになると、男性の声のような音楽に乗せて、ラコタの正装をした男性の誇り高い横顔が見え始めました。そしてサバンナのような鹿のいる乾いた大地。大地から湧き上がる力。ただそこに存在するもの。過ぎ去っていくもの。流れていくもののなかにある不変の大地。不変の自分。そこに溶け込むように意識が遠のいていました。

ワークが終わり起き上がるとニュートラルな、頭が空っぽの状態。ただただぽかーんとしています。うつろではなくてシンプルに何もない。曰く、「台風の目の中にいる状態」まさにそうです。
過去にも人にも未来への不安にも支配されて続けてきた自分。ネガティブな想像をすることで最悪の事態を免れようと生きてきたけれど、それはずっと今以外の時間の中にいつづけることにほかならない。起こっていることに対して湧き上がる感情やこだわり、誰かへの根拠のない怒りは抑圧してきた思いの投影だったのだと実感しました。
ただ、今、という瞬間瞬間があり、そこに私が生きているだけだったのです。
自分の真ん中は絶対不変のもの、起こったこと、湧き上がる思いに対するジャッジなどもとより自分が作り出したもので、最初からなかった。すべては自由だったのです。
今、宇宙の広い世界とそこにいる自分が繋がっている実感を、体を通して得る、というより思い出すことができてとても嬉しいです。新しく生まれなおし、今この瞬間を感じることに気づかせてくれたブレスワークに感謝、感謝です。

ブレスワークから一週間がたった後日談です。
以前より敏感になっているのか、感情のうねりが大きく感じます。ぐらぐらした不安定な気分になったり、逆に底知れぬ喜びを感じたり。五感も繊細になっています。これまでと違うのは、自分の真ん中が空であり、不変のものだという実感があるので、心揺さぶられながらもありのままに受け入れられる事です。いつの間にか感情に乗っ取られそうになっていても、体がその状態を知っているという信頼があるのでとても楽です。
誰かの評価を期待して行動することもなくなって、考えてから動くまでに時間がかからなくなってきました。思い切りがよくなったというのかもしれません。
誰かのために生きている自分という感覚から抜け切れなかったのが、自分のために生きている自分という当たり前の感覚に切り替わって、身の回りを探索しているような印象です。
世界にあるいろんな感覚を心と体で受け止め、消化し、自分のエネルギーに変えて放出し、循環していけたら良いな、どうしたらできるかなとわくわくしています。

               九州在住 30代 女性 


ブレスワーク体験記

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